ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:雰囲気づくりが大事です『みんなの「わがまま」入門』

 この本を読みました。

みんなの「わがまま」入門

みんなの「わがまま」入門

  • 作者:富永京子
  • 発売日: 2019/04/30
  • メディア: 単行本
 

  本書の最後のほうに、こんなことが書いてありました。

「ふつう」のなかに隠れて見えない、ほんとうに多様な人たちがいる。その人たちと「同じ職業」とか「同じ性別」とか、そういう「同じ」ではつながれないから、経験の語りをもってつながろうとするのが「わがまま」だとするなら、多様な人たちの多様性をそのままに、立場は全然ちがうけれど、でも尊重しようとするのが「おせっかい」なのではないかと考えています。そして、「わがまま」と「おせっかい」、どちらもこの世界のカラフルさを保ったまま、その色彩を鮮やかにする試みです。(p.262、5時間目 「わがまま」を「おせっかい」につなげよう) 

  この文句に、素直に感動してしまいました。

 本書は、社会学を専門とする著者が、中高生向けの講演をもとにして書かれた本です。「社会運動とはなんなのか」ということを説くためのキーワードに「わがまま」を据えて、いろいろと身近な事例をとりあげながら論を展開していく本です。中高生向けにわかりやすく書いてあるので読みやすく、それでいて大切なことが書かれています。本書の問題意識は次のように説明されています。

 「わがまま」を言うことはじつはとても大切です。みなさんの「わがまま」、あるいは他人の「わがまま」が、その人ひとりだけではなくて、だれか別の人たちのがまんしていることとか、悩んでいることとか、モヤモヤを解決してくれる可能性があるんだ、というのがこの本の一貫した主張です。(p.30、1時間目 私たちが「わがまま」を言えない理由)

  新しい本だし中高生向けなので、最近の話題や人気のある有名人の名前がでてきたりして、具体的に物事をイメージしながら読めるようにできています。そして、この「わがまま」(=社会運動)の意義や効果、「わがまま」を表明するにあたってのハードルやらなにやらを「わがままなんて言えないよ...」という、日本の大多数の人の立場から説明してくれています。全体として「わがまま」は言ったほうがいいよ(それが受け入れられるかわからないけど)、「わがまま」なことを思ったり言ったりするのがいろいろなことが始まるきっかけになるんだよ(それが受け入れられるとは限らないけど)、ということを言っています。

 ところで、次の箇所は自分が長く持っている問題意識に触れていました。

...私たちはだいたい偏っているから、何もしないのが「中立」ではないということです。(p.160、3時間目 「わがまま」準備運動)

 どっちにも与しない、自分は中立だ、というポーズをとることについて、僕はあまりいいと思っていません。その理由はつまらないからです(僕の評価軸はおもしろい→良い、つまらない→悪です)。返答が予想できる人としゃべってもおもしろくないのであまり意味がないと思っているのですが、中立を標榜する人はとくに答えが予想できてしまいます。話していてもそのとき話題にしている誰かの偏った主張をマイルドにする方向の発言が出てくる確率や一般論が出てくる確率が高すぎます。でも、筆者の言うように私たちはだいたい偏っています。だから、その中立を標榜する人もどこかで偏っているはずで、その人が偏っている部分の話を聞けるとそれはおもしろいのです。ツイッターは、ある程度無防備な偏った意見を見られるから僕は大好きです。

 本書では、「わがまま」を主張することは悪いことではない、と主張するとともに、どうして「わがまま」は言いにくいのかという解説もしています。それを読んで思うに、言いやすい「雰囲気づくり」を頑張れば、僕が「中立を標榜していてつまらない」と感じる人からもおもしろい話を引き出せる確率が上がるのではないか、というふうに思えてきました。実際、話しにくい人としゃべる時は一般論に終始させて早く会話を終わらせたいですもんね。つまり、おもしろい話をしてくれないなこの人は、と僕が思ってる人は、単純に僕に警戒しているだけかもしれない、という話でした。話したいな!と思ってもらえる人になるには、どうすればいいんだろうか。どうせおもしろい話を聞くなら、実際に相対している人から聞きたいんだよな。しかし自らを振り返ると、自分自身も結構警戒しながら人に接してあまりおもしろくないことを言っている感じがするので、まずはそこから直さなくてはならない…。よくよく考えればそんなに警戒する必要もないのに!

 

 以下、備忘のメモとして3か所引用して終わりにします。

...過激な主張をしている人に対して「あいつらはうるさい、ネガティブなことしか言わないし批判するだけで対案も出さないし」と言ってしまうと、「わがまま」のハードルそのものが上がっていく。こうした声が増えると、モヤモヤしていることがあって、それを生み出している人や物を批判したいけどできないなあ……と思っている人(私たち自身も含みます)が意見を言いにくい環境を、知らず知らずのうちにつくってしまう。(p.133、3時間目 「わがまま」準備運動) 

...どんな高校や大学に行くか、どのような仕事に就くかで、社会に対する関わり方は数年で変わってしまいます。だから、「その場その時」の正しさで全然構わない、とりあえず自分と周りにとっていいものを考えてみる。それくらいのイメージで、どんどん本や周りの人、情報を提供してくれる場から知識を得ていきましょう。(p.165、3時間目 「わがまま」準備運動) 

...「今のお前に関係ねえじゃん」と言われたら、「いや、自分のことじゃないからできるんだ」と堂々と言えばいいのです。たとえば、福島や広島に住んでいないとか、この問題の被害者じゃないとか、あるいは被害者であったのがはるか昔であったとか、どんなよそ者であっても「わがまま」を言っていい。そのような「おせっかい」が、その被害者のために、かつての自分のために、未来、もしかしたら自分が被害者になるときのためになるかもしれない。(p.248、5時間目 「わがまま」を「おせっかい」につなげよう) 

 おわりです。