ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:極度の貧困を解決するために今すぐ寄付〈しなければならない〉理由 『あなたが救える命』『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』

  これらの本を読みました。

あなたが救える命: 世界の貧困を終わらせるために今すぐできること

あなたが救える命: 世界の貧困を終わらせるために今すぐできること

 

 

 前回の記事で、『〈効果的な利他主義〉宣言!』という本について書きました。

nattogohan-suki.hatenablog.com


 この効果的な利他主義について、もうすこし深めたいなと思い、上記2冊を読みました。『〈効果的な利他主義〉宣言!』より前に出た2冊であり、2冊ともピーター・シンガーという哲学者が書いたものです。シンガーの主張は基本的に読者(というか人間一般)に対し、行動を変容させることを強く要求するもので、何を言っても根強い反発がどこかからやってくるようです。
 今回読んだ2冊では、極度の貧困を解決するために「なぜ」「どれくらい」「どのように」寄付すべきかを説明することを目的としています。そのなかでシンガーが要求することは以下のとおりです。

...これ以上寄付をすれば、自分が寄付することで防ぎうる悪い事柄とほぼ同じくらい重要な何かが犠牲になってしまうところまで、寄付しなければならない(『あなたが救える命』p.187) 

 とはいえシンガーは、こんな高い水準の要求は受け入れてもらえないということをわかったうえで、以下のような基準を提案します。

...九五パーセントのアメリカ人にとっては、最大でも所得の五パーセントを寄付すれば満たされるという穏当な基準を提示する。(『あなたが救える命』p. ix) 

  収入の五パーセントでさえ100万円稼いでいたら5万円、500万円だったら25万円ですから、寄付の経験がなければかなりのハードルになると思います。でも、本書で提示されている事実や倫理的な論証をきちんと理解することができるなら、シンガーによる高い水準の要求もそうおかしなことではないと感じると思います。
 しかし、僕自身が収入の大半を寄付に回せるかと言うとそれは無理ですし、シンガーや本のなかに出てくる実践者たちも、全員が全員収入の大半を寄付できなくても無理からぬことと考えています。本のなかではかなり厳しいことを述べているシンガーですが、まえがき部分で以下のように述べています。

…本書の究極的な目的は、極度の貧困を減らすことであり、読者に罪悪感を抱かせることではない。(『あなたが救える命』p. x)

 今回2冊読んでみて大切だと思ったのは、「なぜ私たちは寄付を〈しなければならない〉のか」(「することが望ましい」ではなく「しなければならない」です)という説明と、「この主張への反論の反論」、そして「効果的な寄付の評価基準をつくる意義」の三つです。備忘のメモとしてまとめます。
 以降この記事では、「寄付する」とだけ書きますが、「極度の貧困を解決するために効果的に寄付する」ことを意味しています。

1. なぜ私たちは寄付を〈しなければならない〉のか

 シンガーは、次のようなたとえ話をします。

 仕事に行く途中、あなたは小さな池の側を通り過ぎる。その池は膝下くらいの深さしかなく、暑い日にはときどき子どもが遊んでいる。しかし今日は気温が低く、まだ朝も早いため、あなたは子どもが一人で池の中でばしゃばしゃしているのを見て驚く。近づいてみると、その子はとても幼く、ほんのよちよち歩きで、腕をばたばたさせており、まっすぐ立つことも、池から出ることもできないでいるのだとわかった。その子の両親やベビーシッターがいないかと見回すが、あたりには誰もいない。その子どもは数秒間しか水から顔を出すことができない。あなたが池の中に入ってその子を救い出さなければ、溺れて死んでしまいそうである。池に入ることは簡単で危険ではないが、数日前に買ったばかりの新しい靴が台無しになり、スーツは濡れて泥だらけになるだろう。また、その子を救い出して保護者に預け、服を着替え終わった頃には仕事に遅刻してしまうだろう。あなたはどうすべきだろうか。(『あなたが救える命』p.3-4)

 これには多くの人が「助けるべきだ」と言うでしょうが、もしそう思うあなたは「私たちは寄付を〈しなければならない〉」ということを認めています。ここでの「私たち」は、「この本を読めるような立場にある者たち」、すなわち先進国に住む人たちです。
 現在地球にいる人々の間では貧富の差が拡大しすぎていて、命にかかわるレベルの貧困にあえいでいる人が多くいます。2015年の段階で、世界銀行は貧困ラインを「生活に使えるお金は1日当たり1.90ドル」と定め、これを下回る収入しか得られない人を極度の貧困と位置付けています。2015年の段階でそのような立場の人は7億人強いるとのことです*1。この1.90ドルというのは、「アメリカで暮らす場合」の1.90ドルです。物価が安い地域に1.90ドルを持っていくのではないのです。これを年収に換算すると約7万円です。こんな額では衣服はもちろん、住むところや食べるものが満足に手に入りませんし、医療も受けられませんから当然命にかかわります。だから、圧倒的に自由に使えるお金が多い我々先進国の住人は、多少生活が不便になる犠牲を払うことはいとわずに寄付をするべきなのです。
 と、こんな風に言われても、はいそうですね、で寄付をするような人はほとんどいないと思います。そうであれば、おそらくこのブログで紹介するような2冊は存在しなかったでしょう。この2冊の本では、私たちが負う寄付する義務、反論者がいかに誤っているか、寄付先の選択がいかに大切か、が述べられます。寄付なら何でもいいわけでなく、寄付するのであれば「極度の貧困に起因する害にあえぐ人々を救う目的」をメインにしなくてはならないことを強調します(効果的な利他主義)。

2.「寄付をしなければならない」への反論に対する反論

 続いては、「寄付の義務」について寄せられた反論に対するシンガーの反論で、僕が大切だと思ったものを紹介します。

資本主義ではお金は元手である。それを寄付に使うと将来の成長が損なわれてしまう。(『あなたが救える命』 p.47)

 シンガーはクロード・ローゼンバーグという人の主張をひいて、以下のように述べています。

...彼の議論によると、今寄付する方が、お金を投資に回した後で寄付するよりも値打ちがある。というのは、社会問題が長い間放っておかれると、それだけ状況が悪化するからである。言い換えると、資本は投資によって増大するが、社会問題を解決するためのコストも〔時間が経てば〕増大する傾向にあるのだ。しかも、ローゼンバーグによると、社会問題を解決するためのコストが増大する割合は、投資から得られる収益の割合に比べて「指数関数的に大きい」のである。(『あなたが救える命』p.49)

 ここには定量的な裏付けがないようですが、直感的には納得できます。「ウォーレン・バフェットのような投資の才能があれば、お金を取っておいて後で寄付すればいいが、そうでないのならもっと早くに寄付したほうがよいかもしれない」とのことです。

私たち人間の本性は、利他行動をとるようにできていない

 「私たち人間は利他行動をとるようにできていない」は、手を変え品を変えて主張されます(『あなたが救える命』第4章に詳しい)。たとえば...

  • よく知らない遠くの国の人を助けようという気持ちが湧いてこない(遠くの人より近くの人を優先する個体はまわりとうまくやっていきやすいので進化的に生き残ってきた)
  • ほかの人が寄付をしていないのに自分だけ寄付をするのは納得がいかない(公平さへの意識が高い個体が多い方が集団として生き残りやすいため、進化的に生き残ってきた)
  • 貧しい人への援助が「焼け石に水」に感じる(心理学的に、「あなたの寄付で〇〇人中1500人が助かります」と言って寄付を募る場合、〇〇人の部分が大きくなると寄付額が減るという実験結果がある)
  • 他の寄付すべき誰かがやるだろうから、自分はやらなくてもいい(傍観者効果

 どれも、「人間にはこういう性質がある」(だから寄付しなくてもいいでしょ?)という内容ですが、シンガーは以下のように述べます。

 ...しかし、たとえ進化の過程で人類が身につけたいくつかの直観や行動の仕方が私たちの生存や生殖のために今日でも役に立っているとしても、ダーウィン自身が気付いていたように、そうした直観や行動の仕方が正しいことにはならない。進化の方向は道徳とは無関係である。(『あなたが救える命』p.48。太字は引用者)

  「そういう性質があること」は「そうすべきである」ことにはなりません。「池におぼれる子ども」のたとえ話で、子どもを迷わず助けるべきだ、と答えるのなら実際に寄付をしようと考えた際にどんな考えが浮かぼうと、寄付をすべきなのです。これは、なにを考えるにもとても大切なことだと、僕自身思っています。
 また、特に公平感(ほかの人が寄付をしていないのに自分だけ寄付をするのは納得がいかない)に関して多く紙幅が割かれています。たとえば、先進国の人全員が3万円寄付すれば貧困がなくなるとして、ある人が3万円寄付して「自分の責任範囲はここまで。あとはよろしく」として終わってしまうのはぞっとする行為である、とシンガーは言います。
 このことはまた「溺れた子供」のたとえ話で説明されます。10人の溺れている子どもがいるところに10人の大人が居合わせたとします。大人のうち5人が救助せずにその場を立ち去ってしまったのに、残る5人の大人が1人ずつしか助けないでもOKとなるはずがない、というわけです。シンガーは以下のように述べます。

...私たちは成長すると、ときには不公平を受け入れなければならないことを学ぶ。私たちはそうすることを好きになる必要はないし、自分の負担を果たさない人にはもちろん怒りをぶつけてよい。とはいえ、ほとんどの場合、行為しないことによる犠牲が相当大きい場合には、私たちはやるべきことをやるのである。自分の公平な負担以上のことをするのを原則的に断る人は、公平さをフェティシズム〔盲目的な崇拝〕の対象にしているのだ。それはまるで、嘘をつけば無実の人が殺されることを防げるような場合においてさえ、嘘をつくことに対して絶対反対の立場を貫くようなものだ。公平さと嘘をつくことのいずれの場合でも、原則を維持することがほぼすべての状況で重要である。だが、原則を維持することが端的に間違っている場合もあるのだ。(『あなたが救える命』p. 195)

 つまり、大切なのは「貧困問題は緊急的な対応を要する事態だ」ということです。寄付をしましょう、人助けをしましょう、とお願いされる場合、事と次第によっては今すぐやる必要のないことも多いです。貧困問題は池で今目の前で溺れている人とは別物だ、と反論できると思う人もいるかもしれませんが、貧困が原因で亡くなる人は、現状年間何百万人もいます。これを365で割れば1日当たり何万人死んでいる、さらに24時間、60分、60秒と割っていけば、1秒あたりの死亡数がわかります。こんな計算には本質的な意味がないかもしれませんが、貧困問題は急を要しているということは十分わかると思います。

私の国はすでに十分な支援を行っている

 この反論は端的に誤っていて、さらに国が貧困国に支援を行なおうとするとき、明らかに自国の産業が恩恵を受けるように計らっており、効果的ではないと書かれています。たとえば、貧困国の農作物の収量が増えるような支援ではなく、自国の生産した農作物を贈るような支援になっている、というようなことが書かれています(『あなたが救える命』p.139-141, 143-147あたりに詳しい)。貧困国で生産された作物を増やして流通させれば安く多く食糧が供給できるのに、富裕国で生産された作物を使うと同じ金額で手に入る食糧の量は少なくなってしまう、のようなことが起こります。
 貧困ラインにいる7億人を救うにはまだ足りないのです。

3. 効果的な利他主義を行うための基準作り

 最後に、寄付をするにしても、本当に寄付される人のためになるように寄付しなくてはなりません。シンガーが主張するのは、なんでもいいからやみくもに財産をなげうて、ということではありません。寄付をしてみようかな、と思った人は、寄付の仕方について真剣に考えるべきです(このことは『〈効果的な利他主義〉宣言!』に詳しい)。
 もちろん、誰もが納得する基準をつくることは本当に難しいし、できるかどうかもわかりません。しかしながら、基準は重要であり、努力が大切だということをシンガーは次のように述べています。

 ...単一の評価基準を築くために努力し続けるべきだという点で、トビーは正しいことを言っています。たとえ近い将来、または中期的にそこに到達しないことがわかっていても、努力し続けるべきなのです。そのような評価基準がなければ、限りあるリソースを医療分野に配分しなければならない政府やWHOのような国際機関は、一番声の大きな人やすご腕のロビイストに押し切られてしまいがちなのです。(『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』p.169)

  効果をきちんと定量できるようにすることはとても大切です。効果的な利他主義を行うにあたっては、「ランダム化比較試験」というのが大切になります。これは、新薬の効果を測定するときにやるように、患者Aには新薬を、患者Bにはニセの薬を投与して効果を比較するというような試験です。あるプロジェクトの効果をこの試験で確かめておけば、地域Aで成功したプロジェクトは地域Bでも成功するとある程度の確度を持って言えるようになります。でも、費用の問題や、倫理的な批判(地域Bを実験台にしてしまうなんてひどい)などいろいろな問題で十分になされているわけではないようです。
 そもそも、慈善事業において効果測定という考え方はかつてほとんどなく、ここ10年くらいの「ムーブメント」だそうです。本のなかで紹介されていたなかで多いのは、金融分野で働いている人が寄付をしようとしたときに、金融投資と同じ考え方を適用しようとしたら、公開されている情報があまりにも少なかったから、比較できるようにしようと思った、というものです。慈善事業に従事するような人のなかには、投資の考え方にアレルギーを持つ人も多そうで、実際多くの障壁があったようですが、いまは「ギブウェル」という素敵なサイトができているようです。

おわりに

 ほかにも、寄付行動をとるうえで大切なことはたくさん書かれています。触れませんでしたが、『あなたが救える命』のなかには「自分の子どもと貧困国の子どものどちらが大切か」という議論や、「貧困が解消されて人口がどんどん増えたら、全員が食糧不足になる、なんてことはないよ」というような議論があり、大変示唆に富むものでした。
 シンガーは収入の5%という基準を提示しており、本当はもっと多く寄付してほしいと考えてはいるものの、個々人の経済状況に応じて出来る範囲でやってください、とも書いています。多くの人が少しでも有効なお金の使い方をすることで、緊急を要する状態にいる人が少しでも助かる平和な世の中になってほしいと、心から思います。

備忘メモ

 記事で触れなかった印象的な部分を抜き書き。

↓極度の貧困の問題点について

...極度の貧困は、単に物質的ニーズが満たされないというだけではない。それはしばしば、無力感という尊厳が傷つけられた状態を伴っている。民主国家であり、政治が比較的うまくいっている国々においてさえ、世界銀行の調査の回答者は、抗議できずに辱めに耐えなければならなかったさまざまな状況について語っている。誰かに自分のわずかな財産を奪われ、それを警察に届け出ても相手にしてもらえないこともある。また法は強姦や性的嫌がらせから守ってくれないこともある。子どもに必要なものを与えられないため、常に恥と失敗の感覚に苛まれる。貧困の罠にはまり、苦労続きの人生からいつか逃れることができるという希望を失ってしまう。しかも最終的にその苦労から得られるのは、ただ生きのびたということだけなのである。(『あなたが救える命』p.7)

↓偽善について

エスは私たちが貧しい者に寄付をする際、ラッパを吹き鳴らしてはいけないと言った。「それは偽善者が人から褒められようと会堂や街角ですることである」。...(中略)...しかし、こうしたことは本当に問題なのだろうか? お金が「純粋な」動機から寄付されることよりも、お金が有用な目的に使われることの方が大事なことではないだろうか。それに、寄付をするときにラッパを鳴らすことで他の人たちも寄付する気になるのであれば、なおよいことであろう。

 ↓人が寄付する動機について

 社会学者のロバート・ウスナウが明らかにしたところによれば、利他的な行為をする人々でさえ、自分の行為に関して自己利益に基づく説明を――しかもしばしばかなり説得力のない説明を――する傾向にあった。そうした人たちは、自分が社会的意義のある活動のためにボランティアをしたのは、「手持ち無沙汰だったから」とか「家を出るよい口実になったから」などと言うのだ。つまり、彼らは「他人を助けたかった」とは言いたがらないのだ。(『あなたが救える命』p.100)

 ↓マルサス人口論』は人が増えるのは指数、食料が増えるのは一次関数なので、食料が足りなくなると言った。しかし現状、穀物は畜産の飼料として、人間が必要なカロリーの大体6倍くらい余計に生産されている、ということを踏まえて。

 ...現在の状況とマルサスが予見した状況の違いは、こうである。すなわち、彼は人口の増大が大規模な飢饉を引き起こすことを予測したが、これまでのところ唯一の迫り来る「危険」と言えば、皆が菜食主義者にならねばならないということだけである。私たちが動物に与える穀物や大豆は、万一それが必要とされる場合には、飢餓を避けるのに役立つ緩衝材になる。実際のところ私たちは地球上のすべての人が食べていくのに十分なだけの食糧を生産している。二〇五〇年までにさらに増えると予想される三〇億人を合わせても、まだ十分なだけ生産しているのだ。(『あなたが救える命』p.162)

 ↓トマス・アクィナスについて

トマス・アクィナスは、「誰かの持ち物を黙って使ったとしても、極度に助けが必要だった場合には、窃盗とは言えません。なぜなら、自分の命を救うために奪ったものは、その人の持ち物になるからです」とまで言っています。(『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』p.41)

 ↓人類滅亡を防ぐ(降ってくる巨大天体を核爆弾で破壊する)のに一〇〇兆ドルかかるとして、お金をかけるべきかどうかについて。

...アメリカの環境保護庁や運輸省といった政府機関は、一人の死を防ぐための妥当なコストを決めるため、一人の命の推定価値を計算しています。現在の推定価値は六〇〇万ドルから九一〇万ドルとされています。仮に今世紀の中ごろ、二〇五〇年に衝突が起きたとして、その頃には世界人口が一〇〇億人に達すると予想されるので、一〇〇兆ドルから逆算される一人の命はわずか一万ドルになります。 (『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』p. 210)

 

おわりです。

*1:

www.worldbank.org

『あなたが救える命』が書かれたのは2009年で、本のなかでは極度の貧困の人数は14億人と書かれていました。『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』は2015年に出た本で、2014年のデータでは10億人を超える人が貧困ラインにいると書かれています。短期間で大きく減っている!