ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

視聴記録:民主主義について『クマと民主主義』(HBCテレビ)

 このドキュメンタリー番組を見ました。

www.hbc.co.jp

(2020年1月14日、HBCのサイトで配信されているのでリンク張り替えました。3月31日まで見られるそうです)

 年末、実家の北海道に帰っていました。前回のブログに書いた本(『選挙制を疑う』)を読んでいたときで、「民主主義」がテーマのこの番組にじっと見入ってしまいました。

番組の内容

 2018年夏ごろから2019年にかけての、北海道島牧村におけるクマ対策・村議会の施策・猟友会の考え・村民の意思などが絡み合う複雑な事情を描き出しているものでした。

 島牧村にはクマが頻繁に出没していました。クマは夜間や住宅地に出没するのですが、鳥獣保護法により免許のあるハンターであっても夜間や住宅地での発砲は許されていません。クマが出没すると、猟友会のハンターたちに連絡がいき出動が要請されるのですが、ハンターたちは銃を打てませんから、花火などの鳴り物で追い払うしかありません。ほぼ丸腰で野生の獣に挑むようなかたちです。

 ハンターの方はほとんど兼業で、昼間は農業や漁業に従事し夜間にクマがでれば呼ばれて出動していくという過酷な状況。でも、出動すれば1回につきいくらかの報奨金が支給されるしくみがあります。

 当然ながらクマの出没が増えると、ハンターに支給する報奨金はかさみます。村議会は、その出費を削減するための条例案を審議し、可決させてしまいます。その条例の内容は、ハンターにとって受け入れがたいものでした(猟友会への報奨金は、前年度実績の1/4を上限とする、後続のハンター育成費の削減、出動による死亡保障を2億円→3~500万円へ減額など)。藤澤村長は、猟友会の存在を重要視して条例案に反対の立場でしたが、議会の賛成多数で可決してしまったのです。

 この条例は、可決後に猟友会の方々に内容の説明がなされます。この説明会の様子は番組内で放送されていました。審議の際は反対の立場だった村長も、厳しめの態度で「もう決まったことだから」の一点張りです。特別対応ができる可能性はある、との説明もされていましたが、ベースは大幅減額なので受け入れがたいことに変わりはありません。

 ハンターの仕事はそう生半可なものではありません。ひとつ間違えれば命を失いかねないうえに、害獣はいつ現れるかわかりません。それに、ハンター1人を一人前にするまでには10年からかかるともいわれています。鳥獣保護法で定められているために、銃を使わずにクマと対峙しなければならないことまであるのです。そういう背景のなかで、報奨金の大幅減額、育成費削減、死亡保障の大幅減額を定めた条例は、ハンターの立場からすれば粗末に扱われていると感じてもおかしな話ではありません。番組のなかで、報奨金の8割は国からの補助で賄われる、ということもいわれており、それじゃあどうして大幅削減の議決がなされたのかはわからないままです。

 ただ、そういった事情を、村民全員が把握しているわけではないのも実情です。夜にクマがでた、といってわいわい出動してちょっと騒いだらクマが帰っていったから終わり、で小遣い稼ぎをしている、というような言い方も時にはされる、と語られていました。匿名で、猟友会への批判の手紙が投函されることもあったそうです。

 番組の終盤では、村長選の様子が放送されていました。現職の村長と、親猟友会の候補者が争う村長選となったのですが、選挙の争点にクマ対策はあがらず。現職の村長が当選したところで番組は終了しました。

ハンターの意見はどうやって反映させればいいのか

 ハンターの意思が反映されず、条例が議会の審議だけで可決されてしまったという点で、番組タイトルが『クマと民主主義』とされたんだと思います。ただ、問題点は現行の民主主義のかたちにあるのではなく、別の点にあるのではないかと思いました。

 島牧村は、人口1500人の小さな村です。そんななかで、親猟友会の方々と反猟友会の方々が共存しているということがやはり、問題の大きな点なのではないかと。なぜなら、民意は反映されているように思えるからです。ハンターの仕事に理解のない村民が選び出した議員は、やっぱりそういう条例をつくろうとして可決させようとすると思うのです。

 でも、村にクマがきて実際に畑を荒らされたり漁網をやぶられたりと実害が出ていて、その対応のためにはハンターが絶対に必要です。村民がクマを恐れる様子も映像として流されていました。それなら、ハンターの重要さを村民に知らせるような運動をしていくのが重要なのではないかと思いました。現職の村長も、ハンターの重要さは認識しているようですし、できないことではないのでは、と思います。

 ただやはり、解決できていないということはそう簡単なことじゃないんでしょう。たとえばこういうとき、選挙で選ばれた議員ではなく抽選で選ばれた議員だったらどうなるだろうか…と読んだばかりの本の影響を受けつつ、考えながら番組を見ていました。

 

以上です。