ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:予言を感じました『正しく考えるために』

この本を読みました。

bookclub.kodansha.co.jp

 

1972年の本です。論理をきちんと運用するにはどうするか、というのを簡単にまとめてある本です。そんな本はほかにもいっぱいあるのですが、1972年に書かれたこの本のなかに「情報時代」という名前の節があって、そこで言われていることがおもしろいので記録しておきたいと思います。(日本のインターネット導入は1984年だそうです)

導入の、『「考える」ことと「知る」こと』という章で、次のように書いてあります。

〔テレビやラジオを通じてただしくすばやく情報が伝えられることで〕われわれが多くのことを「知って」いるならば、一見すると、現代われわれは最もよく「考える」こともできるように思われるかもしれません。しかし「知る」ことと「考える」こととは決して同じではありません。もとより多くの正しい知識を持つということは正しく考え、正しい判断を下すために有利なことであることはいうまでもありません。誤った知識を基礎にして打ちたてられた判断は当然誤っているからです。しかし多くの知識を持っていたからといって、そこからただちに、正しく考えることができるようになるということは導かれてきません。むしろわれわれは多くのことを知ることができるということによって、かえって考えることを忘れてしまうという危険もあるといわねばなりません。なぜなら、われわれは知ることがあまりに多いため、知ろうとする努力に追いまくられて、深く考えないという習慣に陥ってしまう恐れもあるからです。(p.17-18)

しかし情報時代でもっと危険なのは、他人の「考えた」ことが情報としてあまりにも多く伝えられるということであるかもしれません。われわれは他人の考えたことを「知って」しまいます。そうなると、われわれは他人の意見を「知る」ことによって、みずから「考えた」ような気になってしまうのではないでしょうか。まして多くの人の同じような意見が数多く伝えられると、われわれは実際には何もみずから考えていないのに、その意見を自分の考えた意見のように思いこんでしまうのではないでしょうか。(p.21)

 

なんかの本に書いてあった、どこそこで誰かがこう言っていた、ということを手前勝手に組み合わせてしゃべりまくる人というのはどこにでもたくさんいます。上に書いてあるような人やことはインターネットにはありふれており、今さら改めて言うほどのことでもないです。でも、この本が1972年に書かれたというのを思うと、正しく考えた結果としてこの文章が書かれているんだなぁと思えて、説得力を持って読み切ることができました。

内容は、推論のやり方を説明した5章以降より、3章(判断をする前に:情報や知識を受け取るときの注意点について述べた章)と4章(何について判断するか:どういうレイヤーでものを見るのかを説明した章)をよむのがおもしろかったです。僕が生きていくうえで知りたいのは、真剣に頭を使って考える対象はどれかを決める方法で、その判断の助けになる内容だと思ったからです。

 

終わりです。