ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:ものの決め方『女であるだけで』

 この本を読みました。

女であるだけで (新しいマヤの文学)

女であるだけで (新しいマヤの文学)

 

  あらすじは以下のとおりです。

ある日、夫フロレンシオを誤って殺してしまったオノリーナ。なぜ、彼女は夫を殺す運命を辿ったのか?

オノリーナの恩赦を取り付けようと奔走する弁護士デリアとの面会で、オノリーナが語った数々の回想から浮かび上がったのは、14歳で身売りされ突然始まった夫との貧しい生活、夫からの絶え間ない暴力、先住民への差別といった、おそろしく理不尽で困難な事実の数々だった……(国書刊行会HPより)

  こんなことあっちゃダメだろ、というようなことが次々に起こっていく様子が描かれている小説です。主人公のオノリーナは、メキシコの先住民ツォツィル族の生まれで、使える言語はツォツィル語と少しのスペイン語。彼女は生まれた村から身売りされ、ツォツィル語が通じない環境に置かれます。ことあるごとにスペイン語を話さなければならない状況に置かれるのですが、次のような記述がつらい。

スペイン語に関して言えば、商売をするのに必要な単語を知っているだけで、普段の会話は込み入ったことになると駄目だった。しかも、何らかのプレッシャーがかかると、さっぱり分からなくなる。少しでも催促されると、緊張から、スペイン語は記憶の片隅に引っ込んでしまうのだ。(p.24)

 オノリーナはそもそも言葉があまり通じず、自信につながるあらゆる手がかりを取り上げられています。しかし、世話焼きの女性ティバさんと出会うことで、少しずつものを教わり、出来ることが増えて少しずつ自信をつけていきます。終始つらい描写が続く小説でしたが、ここの場面は読んでいて明るくなるものでした。

 

 この小説はタイトルの通り、女性問題が主題です。オノリーナは次のような述懐をします。

 あたしは女にあるという権利のことはあんまり知らない。だけど、確かなことは、女の人生は大変だってことさ。男の考えひとつで何もかも難しくなるんだ。だって、命令するのは男だろ。…(中略)…あたしたち女にも男と同じ権利があるって言う人がいるけど、それ、一体誰が男たちに言って聞かせてくれるんだい? 誰があたしたちの父さんや兄さんたちに言ってくれるんだい? あたしは家族の中でたった一人の女なんだ。女だから、みんなの飯を作るのはあたしの仕事さ。母さんが生きてたときは、母さんがやってた。…(中略)…だから、女を守る法律なんて役に立たないって言ってるんだ。ましてや、女はあたしみたいに、字が読めないだろ。全部口先だけのいんちきさ。法律があろうがなかろうが、女、特に先住民の女は、所詮、いつまで経っても同じさ。(p.136-137) 

  ここ1年近く、政治制度をはじめとして、どんな物事の決め方がいいのかを考える機会が多くありました。この小説で描かれているように、身に降りかかる重要なものごとの方針が自分が全く関与できないところで次々に決められているという状況は、日本の社会でも見られることです。でも、そういう問題に常に苛まれていたり、そういう問題を仕事として扱っている人でもなければ、片時も忘れることなく意識し続けるのはむずかしいことです。僕自身も、いまはこうして事の重要性を認識したつもりではいますが、知らず知らずのうちに暴力的な決め方をして誰かに嫌な思いをさせてしまうことはあるでしょう。凡夫の自分には、全部丸ごとうまく運ぶ方法は一生見いだせないでしょうけど、決定する立場におかれたときには少しでもマシな決め方ができるようイメトレしておこうと思います。

 

おわりです。