読書記録:『13歳からの論理ノート』
この本を読みました。
この本は、僕が信頼する倫理学者の先生が大学生向けに、とおすすめしていたので読んでみました(僕は大学生ではありませんが)。
大学生は飯間先生の文章本と香西先生の弁論術本と小野田先生の論理ノート小論文ノートを読むといいよね。野矢本とかはそのあとでいいと思う。
— ながと (@ngtaao) 2020年5月22日
これといっしょに『論理病をなおす!』(香西秀信著)が勧められていて、一緒に読むと面白そうだな、と思って買ってみました。
この本では、論理的にものを言う・書くとはどういうことか、わかりやすくコンパクトにまとめられていていい本だな、と思いました。おもしろかった部分を備忘のために引用しておきます。以下7か所引用しますが、僕は「国語のテスト」の話と「冷やしてお召し上がりください」の話が好きでした。
...ある行動や意見が、ある人には論理的であって、また別の人には論理的でない、ということは頻繁にあります。(中略)
あなたが意見を述べる場合、その意見は読み手や聞き手にとって論理的であるようにしなければならない。
つまり、あなたにとって論理的である必要は必ずしもないのです。(p.15-16、3)論理的であるか否かを判断する絶対的な基準はない)
推論は2つに分けられます。1つは演繹(deduction)で、もう1つは帰納(induction)です。
2つの違いは、荒っぽくいえば、結論に「だろう」が入るか否かです。
また、次のようにいうこともできます。
結論の正しさが100%確実なのが演繹です(ただし、前提が正しくなければ、結論が正しいとは限りません)。結論の正しさが100%確実でないのが帰納です。(p. 26、 7)演繹と帰納)
帰納の例として、一般化、一般的傾向からの推測、統計的推測、類推、権威論証、の五つがあげられていました。
国語のテストでは、次のタイプのものがよく出題されています。
「筆者は下線部Aと述べているが、それはなぜか」
この質問に対する答えはふつう、筆者の書いた文中にはありません。つまり、理由を書き落としている欠陥argument(議論)を読んで、筆者の書き忘れたものを察するトレーニングをしているわけです。
「これはひどい文章だから、このような文章を書いてはいけない。理由を書き落とさないように」と指導を受けることなしに、このような文章をたくさん読むうちに、生徒は、理由を書き落としている 欠陥argument(議論)を書く習慣を身につけます。
小中学校で、このようなトレーニングをすべきではありません。すべきなのは、理由部分を落とさずに文章を書くトレーニングです。(p.75-76、 29)疑問をもつ心を大切に )
よく、次のような記述があります。
お召し上がり方:冷やしてお召し上がりください。
理由の添えられていない命令形で不快感を与える表現(「従順に従え」タイプの表現)で、「個人の自由」の領域に踏み込んでいます(冷やして食べるか冷やさずに食べるかは、個人の自由の領域)。
冷やさずに食べると危険な場合のみ、命令形が適切です。その場合でも、理由を添えるのが望ましいのです。たとえば、「冷やしてお召し上がりください。冷やさずに食べると**の危険があります」という具合に。
危険とは関係ないなら――たとえば、冷やすのが単においしさのためなら――「冷やすと最もおいしくお召し上がりいただけます」とか「冷やすとよりおいしくお召し上がりいただけます」などのように書くのがよいのです(冷やすのがおいしさのためであることが伝わるので)。(p.77、 30)理由を落とす習慣に注意)
...レトリックを使わないようにしましょう。(中略)
例を挙げます。【例】
R氏「そのような馬鹿げた意見は聞いたこともない」この発言の真意は、「それは馬鹿げた意見だ」です。聞いたことがあるかないかは重要な点ではなく、たとえば誰かがR氏に対して「私は聞いたことがありますよ」と言ったなら、R氏は「私が言っているのは、そんなことではない」と言うでしょう。つまり、R氏の発言は聞いたことがあるか否かは重要な点ではないにもかかわらず、聞いたことがあるか否かを述べている大ボケ発言なのです。(p.82-83、 33)レトリックを使わないこと)
...議論の際には「相手を黙らせようとする発言」をしてはいけません。あなたが述べるべきことは、「あなたの主張を述べ、その主張を支えるものを(相手が理解できるように詳しく丁寧に)述べること」です――ただそれだけです。それ以外のことを述べたら反論ではありません。(p.85、 34)反論では、相手を黙らせようとしてはならない)
意味を正確に伝える文章を書けなくて、それを補おうとしてムードを伝えることにやたら努力を払う人がいます。...(中略)...文学的才能とは、作品の世界の中に読者をのめり込ませる・引きずり込む文章を書ける能力です。自分に酔った不正確な文章を書ける能力や意味不明の文章を書ける能力のことではありません。(p.118、 53)文学性に関した注意点)
以上です。次に読もうとしているのはレトリックの専門家の本『論理病をなおす!――処方箋としての詭弁』です(カバーそでに「論理ではなく、詭弁を身につけてみないか?」と書いてあります)。今回読んだ本と合わせて読むと大変おもしろいのではないかと思って読む前から楽しみです。
おわりです。