読書記録:聖域みたいな感じ『冥土めぐり』
この本を読みました。
今回読んだ『冥土めぐり』には、「冥土めぐり」、「99の接吻」という二つの短編が収録されています。表題作「冥土めぐり」は、2012年の芥川賞受賞作です。この鹿島田真希という作家は、僕の好きな作家の一人です。以前この作家の『一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する』の読書会を開きました(過去記事)。
どちらの作品も全体の雰囲気がいいのですが、なんでいい雰囲気なのかを腑分けして理解しようとしても失敗するような気がします。「冥土めぐり」は、異常な身内に困らされてきた女性(奈津子さん)のお話で、「99の接吻」は、母親と四姉妹の家族を、四姉妹の末っ子が独自の考察を展開していくお話です。どちらも家族のなかでの自分をテーマにしていると感じました。
生きるうえでのなんらかの枷を意識しつつも諦めている/満足しているが、どうしようもない変化に気づく/受け入れるという構図が、どちらの作品にもあります。ひとつひとつの出来事は気持ち悪くて、たとえば箱のなかで知らないうちにみかんが腐っていくような、見えないところでなにか悪いことが進行していくような不安な状況を作り上げていきます。
どちらの作品にも、聖域みたいな感じの「領域」が描き出されているように感じました。「冥土めぐり」では、奈津子さんが、異常な母と弟のさまざまな要求に苛まれているところ、太一さんという男性と出会い結婚します。過去を振り返り、現在をみつめることで太一さんの存在がある種シェルターのように奈津子さんを守っていることがわかってきます。「99の接吻」では、母と四姉妹の一家という特殊な領域で、全員ちょっと変なんですが、その変さが聖域みたいな感じを作っています。
最近は「生きづらさ」が話題に上り、共感を集めることも多いです。「冥土めぐり」では、そういう生きづらさが、戯画的なのにリアルな嫌さを醸しながら描き出されていてよかったです。
冒頭でも述べましたように、細かいディテールを云々するよりも全体としてみたときに大変よい小説になっているので、ぜひ読んでみてほしいと思います。
以下、いくつか印象に残った文を引いて終わりにします。
「冥土めぐり」から
奈津子は考える。しみ一つないテーブルクロスのことを。それは血の一滴もなく、どこまでも、白く、広がっていた。清潔といえば言葉がいい。だけど、血のしみの一滴もないのは、不自然で、不健全なことだ。(「冥土めぐり」、p.48-49)
...本当に辛いのは、死んだのに、成仏できない幽霊たちと過ごすことだ。もうとっくに、希望も未来もないのに、そのことに気づかない人たちと長い時間過ごすということなのだ。 (「冥土めぐり」、p.51)
...奈津子にはわかっていたのだ。冒涜の思い出を全く無に、消し去ることはできない。だからそれは、他者――男でなくてもよかった――と交わって薄めることしかできないのだということを。 (「冥土めぐり」、p.66)
「99の接吻」から
「で? あなたはその糞ばばあのことを殺そうと思ったことはないの?」
わたしは尋ねた。
「糞ばばあじゃなくて鬼ばばあだよ。ま、僕は死体の後始末をしたりすることが面倒だから、ばばあを殺すことはしないけどね。ところでここの餃子、本当に大きいな」(「99の接吻」、p.95)
姉さんたち。可哀想な姉さんたち。彼女たちはどうして自分たちがSに惹かれているのか、気づいていないのだ。わたしは単に、Sがよそ者だからだと思っている。彼女たちは自分たちが女として進んでいるからだと思っている。女としての処世術は文学から学んだと思っているのだ。(「99の接吻」、p.102)
そんなことを考えていると、萌子姉さんは、女湯の脱衣場に入ってきた少年に声をかけていた。わたしは思わず、タオルで体を隠した。十歳くらいの子供で、母親と一緒に入ってきたのだ。もう、女の裸を見たいという気持ち、異性に対する気持ちがある少年だ、とわたしは思った。だけど、驚いたことに、萌子姉さんは、その少年に近づいていったのだ、体のどの部分も隠さずに。
「お前、ひとりで男湯に入れなかったから、女湯へ来たのね」
萌子姉さんは堂々としてそう言った。少年のほうはむしろ萌子姉さんに圧倒されて、なにも答えなかった。
「お前、話もできないの?」
萌子姉さんは笑った。
少年は黙ったままだった。少年は萌子姉さんの体からそっと目を逸らした。
「つまんない子」
そう言って萌子姉さんは「あはは」と笑った。( 「99の接吻」、p.109-110)
わたしは乳房が膨らんできた時、それを罪のように考えていた。萌子姉さんがその禁忌を拭ってくれた。乳房が膨らんで、わたしはグラマーになったのだ、女になったのではなく。( 「99の接吻」、p.110-111)
姉さん、わたしたち家族は恋なんてしないんじゃないかと思っていた。父さんがいなくなって、母さんとわたしたち四人姉妹。女だけの家族でこんなにうまくいっていたのに。わたしたちは同じ未来を描いていたじゃない。家の近くにある老人ホームに、皆で入ろうと約束したのに。( 「99の接吻」、p.113-114)
...姉さんは笑う。レンタルビデオ店で借りるより、あそこの古本屋で買ったもののほうがものがいいわよ。安いし、これは好みの問題かもしれないけれど、ビデオが年代ものなの。古いアダルトビデオって、女優さんがみんなブスでしょう? わたしはブスな女優を愛しているのよ。セックスに現実味があるような気がするでしょう?
ある夜中、わたしは姉さんが貸してくれたアダルトビデオを自分の部屋で観た。姉さんがこれでマスターベーションしていると思ったら、不思議と神聖な気持になって、私は、きちんと正座してそれを観た。 ( 「99の接吻」、p.120)
以上です。