ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:『「連続殺人犯」の心理分析』

 この本を読みました(今回の記事にはショッキングなことも書いてあります)。

「連続殺人犯」の心理分析
 

  この本を買ったのは2017年のことでした。購入履歴を調べると、定価1900円のところ中古で3000円くらい出して買ってました。買って満足しちゃってずっと読まずにいましたが、思い立って読みました。ちなみにいまAmazonで見たら6000円くらいまで上がっています。タイトルから、シリアルキラーの心理が学術的に考察されているのかと思っていたのですが、とくにそんなことはなく、ルポルタージュみたいな本でした。原著タイトルは「The Last Victim(最後の犠牲者)」で、このまま直訳のほうが内容の性格を表しているんじゃないかな。

 著者のジェイソン・モスは大学生で、連続殺人犯に興味を持って、悪名高い死刑囚たちにたくさん手紙を出します。大学の卒業論文インパクトあるものにしたいという功名心がモチベーションです。それぞれの連続殺人犯の特徴を分析して、確実に返事がもらえるように手紙の内容をでっちあげていきます。そして最終的に、一人の死刑囚と毎週電話する仲になり、収監されている刑務所まで面会に行く…。というのがこの本に書かれていた内容でした。

 著者は、ジョン・ゲーシーというシリアルキラーと密接なやりとりを重ねていきます。そのため、本書の大部分はゲーシーとのやりとりの記述になっています。そこに描かれるゲーシーの振る舞いは、バイタリティにあふれた大変興味深いものでした。

 心理分析、といいつつ心理学的なことはあまり書いてなくてガッカリでしたが、手に汗握る展開もあって、おもしろいことはおもしろかったです。

 

 連続殺人の話を見聞きすると、そういうことをする気力の根源はいったいどこにあるのだろうか、と考えてしまいます。あまりいい言い方ではありませんが、人間を一人殺すのはわりあい簡単でしょうけど、その痕跡を隠すのはかなりの重労働です。大人なら50〜60kgあるし、子どもが標的だったとしても30kgくらいはある。肉も骨も合わせて結構な体積になる。ヤクザマンガとかを読むと、「死体の処理に困っている」というようなセリフがよく出てきます。組織的に行動できるヤクザでさえ困るようなことです。

 『闇金ウシジマくん』や『殺し屋1』のようなマンガでは、死体の処理の様子が結構しっかり描かれていましたが、かなりの手間をかけて数人がかりで行われていました。こういうのを読むと、割に合わない、という気持ちになります。今のところはいませんが、どうしても殺したいくらい憎い人が現れたときにさえ、殺人を諦める理由になるくらい大変な作業だと思います。

 連続殺人犯たちは、僕が感じたこの「割に合わなさ」をいとも簡単に乗り越えて殺人に及びます。一回や二回ならまだしも、数十回数百回と繰り返す者がいるのです。そういう人たちは、人権を無視しないと達成できない目的(たとえば性的欲求や食人など)があるので、その結果として殺害してしまうのでしょう。本のなかで取り上げられていたシリアルキラーは、性的暴行目的のために殺人を犯している者ばかりでした。

 著者は、文通を重ねたジョン・ゲイシーというシリアルキラーと刑務所で面会することになります。ゲイシーは看守に袖の下を渡していたのか、著者は彼と二人きりにされてしまいます。そしてあろうことか、ゲイシーは著者を脅し、無理やり性交を迫ります。よもや殺されるのではないか、と著者に感じさせるほどの振る舞いを見せるのです。著者は運よく無傷で刑務所を出ることができますが、その恐ろしさは筆舌に尽くしがたいものだったでしょう。

 前に読んだ本に次のようなことが書いてありました。

世の中がきみに与えることができるいちばん重い罰は死刑だね? 死刑以上の重罰はないだろ? ということはつまり、世の中は、死ぬつもりならなにをしてもいいって、暗に認めているってことなんだよ。認めざるをえないのさ。(永井均著『子どものための哲学対話』p.124)

 ゲーシーは死刑が確定していてもう失うものはない状態でしたから、面会に来た著者を犯し、最悪殺してもよいと考えていたのかもしれません(上訴や刑の執行延期を目論んで弁護士と相談したりしていたそうですが…)。そもそも、ゲーシーが著者とのやりとりを重ねていったのは、著者が意図的に「ゲーシーの殺害ターゲットになりそうな男像」を作りあげて手紙のやりとりをしたからです。ゲイシーがわざわざ面会に呼び寄せる(ラスベガスからセントルイスまでの飛行機代やホテル代を支払う!)のには当然下心もあろうとは思いますが、それにしても刑務所での面会で会った相手を犯し殺そうとまでするというのは、常軌を逸しています。

 たとえば自分が、食欲や睡眠欲とおなじように、人を殺したい欲を生まれながらにして備えていたら…、どうするのかしら。特に最悪なのは、殺人欲求を生まれながらにしてもちながら、通常の倫理観を備えているケースです。こうなってしまったら、欲望を満たすも地獄、満たさないも地獄。そういうものを、たとえば精神科医やカウンセラーによるケアで治療したり抑えたりすることはできるのか。治療はできるとして、では殺人事件を未然に防ぐためにできることはあるのか…。こうして考え始めてみると予防はかなりむずかしく、被害者にとっては完全に自然災害のようなものと考えるしかなくなってしまうのではないだろうか…。

 

おわりです。