読書記録:『乳と卵』
この本を読みました。
この文庫には、表題作「乳と卵(ちちとらん)」と「あなたたちの恋愛は瀕死」の二篇が含まれています。表題作は芥川賞をとったやつです。
さて、この「乳と卵」は好きな小説だったんですが、テーマが重いです。この小説は、「地の文」と「中学生の少女・緑子の日記」が交互にでてくるつくりをしていて、文体は軽快で流れるように読めてしまいます。緑子は、「お母さんはなんで自分なんか産んだんだ」とか「自分がいるせいでお母さんに苦労させているのが忍びない」と考えていて、物語のなかでとても重要です。
次に引用してあるのは緑子の日記です。この小説のなかでもっとも印象に残りました。
...最後は、泣きそうな顔で仕方ないやろ、食べて行かなあかんねんから、ってお母さんが大きい声で言ったから、あたしはそんなんあたしを生んだ自分の責任やろってゆってもうたんやった、でもそのあと、あたしは気がついたことがあって、お母さんが生まれてきたんはお母さんの責任じゃないってことで、あたしはぜったいに大人になっても子どもなんか生まへんと心に決めてあるから、でも、あやまろうと何回も思ったけど、お母さんは時間がきて仕事にいってもうた。 緑子(p.64)
緑子は、母子2人の家庭で暮らす中学生で、その母の巻子はとても忙しく働いているという背景があります。「お母さんが生まれてきたんはお母さんの責任じゃないってこと」という部分は、やさしさというか、母のことを思う気持ちの表れを感じました。
小説内で、銭湯で湯船につかりながらつぎつぎにやってくる女性の体をじっと見つめる、というシーンがあります。
...黙って女々の体を見てみれば、当然ながらあらためて様々な形態のあること輪郭のあること色味のあることはなはだしく、裸の中央にあたる部には、ほとんどの場合に、胸がある。(p.52)
昔、全裸の女性がこちら向きに直立した写真が一覧にして並べてあるエロサイトをみたことがあるのですが、興味深く思ってまじまじとみてしまい、エロいものだという感覚はついにやってこなかったことがあります。その時のことを思い出してしまいました。
反出生主義と女性
反出生主義って「男性的」だよね、という女性論者からの意見をときおり目にします。この小説を読んでいると「産める体」をもつ女性が見ている世界は、男性である自分が見ているのとはやっぱり全然違うものだと意識させられます。この小説に描かれていることもそうですが、生殖に対してのコミットのしかたも男女で全然違うのだから、出生について論じる反出生主義の捉え方も男女で全然違ってくるのは当然だろうなぁ、と思いました。女性の中でも持っている意識は全然違っていると思うので、多くの女性のあいだで共有されている/いない感覚はどういうものなんだろうと気になりました。
ぜんぜんどうでもいいことなんですが、数か月前に反出生主義について勉強していた時、川上未映子の『夏物語』という小説がよく言及されていました。遅ればせながら『夏物語』をよんでみようか、と注文するとき、夏物語は長いからまず短めの小説で川上未映子にふれよう、と思ってこの『乳と卵』を一緒に取り寄せたんです。届いてから気づいたのですが、『夏物語』の主人公って『乳と卵』の登場人物だったので、一緒に注文したのはファインプレーでした。
以上です。