今回はこの本を紹介します。
読書会(第3回)のテーマ本
2017年1月7日に読書会(第3回)を開きました。今回のテーマ本は『アイの物語』(山本弘)でした。今回の参加者は僕を含めて三人(僕とHさん、Oさんとします)でした。少人数ですので喫茶店で語らう感じです。
この記事は、本そのもののレビューと読書会のレポートを兼ねています。前回の読書会の記事はこちらです。
nattogohan-suki.hatenablog.com
あらすじ
人類が衰退し、マシンが君臨する未来。食糧を盗んで逃げる途中、僕は美しい女性型アンドロイドと出会う。戦いの末に捕えられた僕に、アイビスと名乗るそのアンドロイドは、ロボットや人工知能を題材にした6つの物語を、毎日読んで聞かせた。アイビスの真意は何か?なぜマシンは地球を支配するのか?彼女が語る7番目の物語に、僕の知らなかった真実は隠されていた――機械とヒトの新たな関係を描く、未来の千夜一夜物語。(角川文庫裏表紙より引用)
もうすこしあらすじをかみ砕きます。小説内で、マシンは人間との共存を望んでいるものの、人間側はかたくなに歩み寄りを拒絶しているという状況があります。この状況を打開するため、女性型アンドロイドアイビスは、少年を捕まえて、怖いことやわからないことに挑戦する人の話や人工知能やロボットのことを知らせるような話をして聞かせます。そうして少年は、人工知能やロボットとはなんなのか、世界はどのようにして今のようになってしまったのか、これからするべきことはなんなのか、といったことに目を向けていく、という筋です。
読みのテーマ
今回も前回のように、読んで語らう道しるべとなるように、テーマを三つ用意しました。
- 「アイ」の意味するところは何なのか。
- 短編(全七つ)のうち最も面白かった作品はどれか。ロボットはなぜその物語を語ったのか。
- フィクションはあなたの人生でどういう意味を持っているか。
今回のテーマ本はいつも読書会に付き合ってくれているHさんが決めてくれて、同時にテーマも用意してくれました。3.はかなり本人の人生観に肉迫するようなものですが、なかなか良い形で機能してくれました。
この小説について
マシンと人の違い
あらすじにあるように、物語(フィクション)がこの小説の肝になっています。そして、この小説の中で語られるフィクションはマシンと人の共通点・違いを浮き彫りにしたり、小説内での現実(マシンと人の敵対)に反してマシンと人が協力や共存するような世界の話が多いです。
この小説では、人とマシンの違いを表す象徴として「虚数単位i」が用いられます。作中で、マシンは感情を表現するときに「うれしい 2+3i」のように「うれしさ」を数値で表します。この際、実数部分は人間にも理解できるけれども、虚数部分は人間には絶対に理解できないニュアンスを表している、とされています。たとえ話になってしまいますが、われわれ人間は3次元空間に暮らしていますから4次元空間を知覚することはできません。4次元空間の4軸目にあたるものが、虚数単位iということです。
マシンと人の間にはこのような「決定的な違い」があります。
アイビスが求めるもの
アイビスは象徴的な六つのフィクションと、アイビスの過去、つまり実話を一つ、少年に語ります。
語られるフィクションの一つに、AIを搭載した老人介護用アンドロイドの話があります。そのアンドロイドは、介護のやり方と人間とのかかわり方を学ぶための試験機として介護施設にやってきます。アンドロイドにとって、微妙な判断を求められる認知症患者への対応は非常に難しいです。しかしながら初めはたどたどしかったり、うまく対応できないことも多かったアンドロイドですが、次第に介護のやり方を通して人間のことを学び取っていきます。アンドロイドは途中途中、新聞や小説を読んで、戦争や暴力事件などが人間の世界で起こっていることも知ります。
そして、アンドロイドは「すべての人間は認知症である」と結論付けます。というのも、穏やかに共存していくのが最善である、ということを知っていながら戦争をしたり、苦しませ合ったりすることは不合理であるし、すべての人は多かれ少なかれ不合理な行動をとっているからです。かといってアンドロイドは、そんな不完全な人間たちと共栄していけるような行動をとっていきます。
このお話は、シンプルに本質を突いています。ここだけを見れば、「優れた」アンドロイドが「劣った」人間に合わせている、と感じられるかもしれません。しかし、これは優劣の問題ではなく、「違いがある」だけなのです。アンドロイド側はその違いを受け入れて、人間に寄り添おうとしているのです。同じように人間も、他の人間との違いを受け入れて寄り添いましょうよ、ということをアイビスは伝えたかったのです。
読書会での話題
以下、読書会で交わされた話について書きます。
「アイ」の意味するところは何なのか
この小説を読んでいると、アイという二文字から連想できるものがいくつか登場します。
僕は、この中では「愛」が占める割合が一番大きいだろうと思いました。それは、この小説を通してアイビスをはじめとするマシンがやろうとしている「歩み寄り」は、僕の思う愛に非常によく合致していたからです。
ざっくりいうと、虚数単位iを象徴として決定的な違いを持つ人間とマシンですが、その違いは違いとして受容し共栄したいというのがマシンの願いです。受け入れて共存する、というのは最もプリミティブで、かつ重要な愛の形だと僕は考えています。アイビスが少年に展開した物語は、未知へ踏み出す勇気や、マシンにできることとできないこと、人間にできることとできないことを浮き彫りにするものでした。かたくなに敵意をむき出しにする少年に対し、(圧倒的な戦闘能力の高さがあるものの)辛抱強く語りかけたアイビスの姿勢は人間に対する愛情に違いないと僕には思えたのです。
この話をする際、小説での虚数単位iの使われ方について、もう少し感覚的な理解の仕方をプラトンのイデア論になぞらえながら追ってみて理解を深めたりしました。
フィクションはあなたの人生でどういう意味を持っているか
この小説では、アイビスの語ったフィクションが少年の考え方を劇的に変えました。読者である私たちも、フィクションを通して現実の考え方に影響されることは多々あります。読書会では、このことについての議論に多くの時間が割かれました。
参加者のOさんは、フィクションは行動の原動力であると言っていました。ふだんの生活では怒らない出来事や、離れた世界の出来事をみることで、「こんなやり方があったのか」とか「こうしてみるといいのかも」といったアイディアの種をもらうことができる、とのこと。
参加者のHさんは、様々な状況に置かれた人間がどういう考えや感情を抱くかを知るためのデータベースの役割を果たしていると言っています。 事実関係を述べる新聞記事や週刊誌のようなものとは違い、登場人物の心情が言語化して表現してあることで、人の考え方を知るという目的により合致していると述べています。
僕は、フィクションを読むと抽象的な感動が得られると考えました。うまく言えないのですが、たとえばとても心にしみいるような詩を読んだときに出てくる気持ちよさが、抽象的な感動にあたります。生物の体の仕組みを知って、すごい!!と感動するような場合は具体的な感動です。(良くも悪くも)「どうしようもなさ」のようなものが表現されているフィクションがとても好きで、それを読むと非常に気持ちよくなります。非常に気持ちよくなると元気が出て、楽しい人生になります。
ただ、各人に共通しているのは、広い世界を知ることができる、と考えているところです。世界は広いのでいろいろな考え方の人がいます。知らないで対峙してしまえばケンカになったりしますが、知らないものを受け入れる訓練を積み重ねていれば穏やかに、生産的に問題解決に至ることができるはずです。人はそのことをこそ、愛とよぶのではないでしょうか。
そして、このことは「アイの物語」の大きなテーマにもなっています。この小説は、これを嫌味なく上手に伝えることができていて、非常に素敵な物語だと、僕には思えました。
おわりに
愛について語るのはすこし気恥ずかしいですが、語ることを恥ずかしがっていては実行に移すことなどできません。たくさん考えれば、それだけいい考えが浮かぶはずです。
今回の読書会は4時間くらいに及びました。4時間を3人で過ごしたわけなので、単純計算で一人80分くらいしゃべったことになります。あるテーマのもとで会話をするのは非常に面白いです。次回も東京のどこかで行いますので、もしご興味があればご連絡ください。
(初投稿:2017年1月9日)