ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:現象としての他者理解『なぜ心を読みすぎるのか』

 この本を読みました。

なぜ心を読みすぎるのか: みきわめと対人関係の心理学

なぜ心を読みすぎるのか: みきわめと対人関係の心理学

 

 いい人・わるい人、いい行い・わるい行いという判断は、社会生活をやっていると絶えず付きまとってきます。この本では、社会心理学的な知見から、「どういう仕組みで他者がいいか・わるいかをみきわめているのか」を明らかにしようとしています。ちなみに、この本で主題としている「心を読む」というのは、メンタリストDaiGoがやるやつみたいな感じではなく、日常でかかわりあう人の意図を汲むくらいの意味です。

 はじめて心理学の本をちゃんと読んでみたのですが、「対人認知」というこの世の苦しみの生みの親みたいなものをテーマにしていて身近に感じたこともあり、とても面白く読めました。とくに印象的だったのは次の文章です。

…他者を評価し、その価するところに応じて裁く側面があるがゆえに、対人認知は「正しくふるまわせる」力を持つ。非難や関係の回避などを通して、切り離される可能性があるからこそ、私たちは切り離されないようにふるまおうとする。(p.289)

 ちかごろいろいろな倫理規範にふれてきて、僕はいい・わるいの判断の根拠について考えこみがちでした。ただ、倫理規範はどれをとっても、誰かが考えた整合性のとれたルールです。この本では「他者をみきわめること」「他者にみきわめられること」という「現象」が、どのように営まれるのか、そしてどのような影響をたがいに与え合うのかについて詳しく書かれていました。面白いなと思った部分をつまみ食い的にメモしておきます(もう少し読み込んでから記事にしたかったのですが、図書館の返却期限がきたので書かざるを得なくなっています)。

 書いてあることの多くは日常なんとなく感じていることではあったのですが、きちんとした心理学実験に裏打ちされたうえで提示されるのはとても説得的でよかったです。自分たちがどのようなバイアスを持ちがちか、どのような誤りを犯しがちか、そしてその誤りは本当に「誤り」なのか?ということをとおして、他者理解のことが分かりやすく解説されています。

心を正確に読めてもあんまりいいことはない?

 正確な他者理解が、必ずしも幸せにつながるわけではなさそうです。

テイラーとブラウンは、外界を正確に認知することが個人にとっては必ずしも適応的なあり方ではなく、むしろ鬱などの不適応な徴候と連合していることを指摘している。実際以上に自己高揚的な認知、いわゆる「ポジティブ幻想(positive illusion)」を抱いているほうが、精神的健康を維持することに貢献するというのである*1。(p.157-158)

…相互依存関係にありつつも、関係継続に困難を感じているカップルを対象として、実験場面の課題として相手の考えについての理解を問い、それが関係に与える影響を検討したものだ。すると、理解を正確に行っているカップルの方が(そして、おそらく日常においてもより正確に理解しているカップルであると思われるのだが)、不正確であったカップルよりもその後の関係が破綻する割合が高かったのだ*2。(p.158)

 実感は薄々もっていましたが、心理学的な成果としてモロに見せられるとすこしショックを受けてしまいました。人はわかりあえないほうがわかりあえる…。この本のなかでは、「人はあまり正確に他人の心を読めていない」ということがたびたび指摘されていますが、それはいいことなのかもしれません。

 Twitterでは、「能天気な脳筋が一番幸せだよな」といった性格の悪いインテリのシニカルな発言が目につきますが、結構その通りな結果ですね。人間関係を築くうえで配慮は必要ですが、それに気を取られていろいろなバランスを崩してしまうという事例はよく耳にしますしね。

心を読まれる側の気持ち

 「似た経験」を持つことが、人と人がわかりあうことにどう影響するかを調べた実験のことが載っていました*3。簡単に要約すると以下のとおりです。

  1. はじめての出産を経験した人(ターゲット)のインタビュー映像を撮る
  2. そのインタビュー映像を、出産を経験した人(同じ経験をもつ人)、妊娠中の人(似た経験をもつ人)、子どもを産んだことのない人(同じ経験をしていない人)の3人に見せ、ターゲットの心情を推論してもらう
  3. また、参加者3人から、インタビュー映像を見た感想を、手紙としてターゲットに送る

 この実験から得られたのは

  • 似た経験の有無と心情の正確な推論に相関はない(正しく推論できない)
  • ターゲットが手紙を読んだ結果、自分のことを一番理解しているのは「出産を経験した人」と答えた

という結果でした。心を読むために同じような経験はあまり必要ないけれど、「理解されている」と感じてもらうためには似た経験があるほうがいいということです。たとえば、出産の話題で男の意見は割り引いて捉えられるとか、恋人にフラれて慰めの言葉をかけられたけどおまえ彼女と幸せそうじゃんよ、とか、日常生活で結構あるやつですね。

全部状況のせい?

 僕は自分のやりたいことがわからなくて困ることが結構あるのですが、他人の意図を推測するときには、「彼はこうしたいと思ったんだな」と推測しがちです。ですが、本書では「人の行動は状況に大きく左右されている」ということが述べられています。

 心理学では多くの場合、「行動Behavior」は「人Person」と「環境Environment」の関数である、という考え方(B = f(P, E))で研究がなされてきました。これは、人的要因と環境要因は独立なものだという考えに基づいています。でも最近では、「人」の部分も環境の関数なのではないか、という見方で進められている研究もあるということが紹介されていました。

 自分とは約30年付き合ってきていますが、自分の本性はあまりよくわかりません。どんな時でもこの行動をする!というような行動は全然ないのです*4。たとえば、電車でお年寄りに席を譲るとか、エレベーターで乗り合わせた人に行き先を聞いてボタンを押すとか、道で困っている人に声をかけるとか、ふつうやるべき道徳的な行動も、場合によってはしません。

 何が言いたいかというと、「人」は環境の関数にするほうがしっくりくるということです。その人固有の行動特性なんていう存在は疑わしいのです。帰省して地元で過ごす自分と、いま東京に暮らしている自分でさえ考えてることや行動の指針が全然違います。周囲にいる人間や温度湿度その他諸々によって、自分の行動が形づくられているということをたびたび感じています。

非人間化

 「非人間化」という概念が紹介されていました。「非人間化」とは、相手を人間あつかいしないことで、加害を正当化できるようになる心の動きのことです。非人間化には「モノ化」、「動物化」という二軸があります。この二軸は、人間とモノの違い、人間と動物の違いに注目して立てられているものです。モノと人間は、感覚、知覚、情緒、自己決定のための意思などの有無に違いがあり、動物と人間は、高度な認知機能の有無に違いがあるとされています。

 この概念は、最近興味があるモノの倫理や動物倫理を考えるときの道具としてちょっと役に立つかも、と思いました。

排斥の効果~サイバーボール・パラダイム

 人が仲間外れにされると、どのような心理的影響を受けるのかについて述べられていました。サイバーボール・パラダイムという、次のような実験で示されています。

サイバーボール・パラダイムとは、三、四名程度の他の参加者とともに、PC上でキャッチボールを行うというゲームをするのだが、その際、他の参加者から自分にはボールが回ってこないという「排斥」を経験するというものである(中略)

 さて、このパラダイムにおいて排斥を経験した参加者に、自分自身や他の参加者(自分にはボールを回してくれなかった人たち)に関する印象評定を求めたところ、自分自身に対しても、そして、自分を排斥した他の参加者に対しても、人間の本性(引用者注:感覚、知覚、情緒、自己決定のための意思など、人とモノを区別する特徴)をより低く評定するという結果が得られたのである(p.200) 

 そのままの結果ではありますが、仲間外れにされると、外してきた相手だけでなく、自分の価値も低く見積もるようになってしまうということです。

 

 尻切れトンボ気味ですが、力尽きてしまったのでこのあたりで終わりにします。

 以下、備忘のために興味のあった内容のメモ。

対人認知次元の研究 私たちが他者を評価する際、「人柄のよさ」「有能さ」という二軸で判断しているという研究が紹介されていました*5。他者評価がこのような二軸で行われることについて筆者は次のように述べています。

他者が私に対して善意または悪意のどちらを持って接するのか、その意図を実現するだけの力があるのかどうかを知ることが、対人認知の果たすべき機能ということだ。(p.62)

確証バイアス 確証バイアスとは、すでに知っていることを補強する情報は取り入れる一方で、それに反する情報を避けたり無視したりする傾向のこと。

対応バイアス 行動を制約する状況が十分考慮されずに、行為者の人的要因が行動の原因に帰属されること。認知的に忙しい(考慮するべきことが多い)場合に強く表出する。

心の読み方 二通り 心の読み方には「理論説(theory theory)」と「シミュレーション説(simulaton theory)」の二通りが提唱されている。「理論説」はすでに持っている知識(こういう表情をしているとき人は悲しんでいるとか、長距離走者は忍耐強いとかいったステレオタイプ的なものも含む)を当てはめて心情を推論する方法。一方「シミュレーション説」は、「自分だったらどう思うか」をもとに相手の心情を推論する方法です。この二通りを組み合わせて普段の認知が遂行されている。

 

*1:Taylor, S. E., & Brown, J. D. (1988). Illusion and well-being: A social psychological perspective on mental health. Psychological Bulletin, 103(2), 193–210.https://doi.org/10.1037/0033-2909.103.2.193

*2:Simpson, J. A., Ickes, W., & Blackstone, T. (1995). When the head protects the heart: Empathic accuracy in dating relationships. Journal of Personality and Social Psychology, 69(4), 629–641.https://doi.org/10.1037/0022-3514.69.4.629

*3: Hodges, S. D., Kiel, K. J., Kramer, A. D. I., Veach, D., & Villanueva, B. R. (2010). Giving Birth to Empathy: The Effects of Similar Experience on Empathic Accuracy, Empathic Concern, and Perceived Empathy. Personality and Social Psychology Bulletin, 36(3), 398–409.https://doi.org/10.1177/0146167209350326

*4:運転中、信号のない横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいたら止まることだけは必ずやります

*5:Wojciszke, B. (1994). Multiple meanings of behavior: Construing actions in terms of competence or morality. Journal of Personality and Social Psychology, 67(2), 222–232.https://doi.org/10.1037/0022-3514.67.2.222