ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:根拠に基づいて決める『〈効果的な利他主義〉宣言! 慈善活動への科学的アプローチ』

 この本を読みました。

  この本は以下のブログ記事で紹介されており、実際に見ておきたいと思ったので読みました。

読書メモ:『<効果的な利他主義>宣言!:慈善活動への科学的アプローチ』 - 道徳的動物日記

道徳の問題は科学的に、定量的に考えなければいけない理由 - 道徳的動物日記

 

 生きているとさまざまな問題が発生します。たとえば僕が、起こっていることについて悩んで友人に相談したりすると、原則論に終始したり「世界は悪で、かなしいよね」みたいな結論で会話が終わることが多いです(特に男友達)。原理原則だったり世界は悪でかなしいことなんかとっくの昔からずっとわかっているし、時には原点に立ち返ることで役に立つことがあるだろうけれども、多くの場合今ここで問題に直面している自分にとっては、言ってみればどうでもいいことです。
 でも、なぜ原則論が役に立たないのかというと、物事の多くは程度の問題だからです。何をどの程度ゆずり、何をどの程度確保したいのかが人それぞれ違うことで問題が生じていて、それを貫く原則を主張したところで、当事者同士が納得することはありません。なんとか相手に対話のテーブルについてもらって、互いの利害の塩梅を一致させなくてはなりません。アドバイスが欲しいのは、利害の塩梅をどうすればいいのかという点についてです。
 『〈効果的な利他主義〉宣言!』では、その「程度の問題」をちゃんと定量化して比較衡量の上で行動の方針を決めましょう、と主張しています。俎上に上がっている中心的な話題は「世界の貧困をどう解決するか」ということです。「世界の貧困なんてどうでもいいよ」という人にとってはまったく読む気にならないとは思いますが、ただ単に考える例として慈善活動が挙がっているだけで、できる限り人を困らせてやりたいと考えている人も応用可能な考え方です。
 効果的な利他主義(effective Altruism)の基本的な主張を理解することができ、さらに個人的には大変素晴らしい考え方だと思ったので、備忘のために記事にします。

効果的な利他主義の概要

 本書の主題である「効果的な利他主義」は、次のことを最重要視します。

...効果的な利他主義で肝要なのは、「どうすれば最大限の影響を及ぼせるか?」と問い、客観的な証拠と入念な推論を頼りに、その答えを導き出そうとすることだ。 ...(中略)...何が世界にとって最善なのかを素直で中立的な視点から突き詰め、それがどういう行動であろうと最善の行動だけを取ると誓うのが「効果的な利他主義」なのだ。(p.13)

  単に、やればOKというわけではなく、やるからには最善を尽くそうということです。

 では、具体的にどのように考えて「最善の方法」を導き出せばよいのでしょうか。それは以下の五つの疑問に沿って考えていくことで、最善の方法にある程度近づくことができます。

①何人がどれくらいの利益を得るか?
②これはあなたにできるもっとも効果的な活動か?
③この分野は見過ごされているか?
④この行動をとらなければどうなるか?
⑤成功の確率は? 成功した場合の見返りは?

(p.15) 

  本書は、第Ⅰ部でこれらの疑問がなぜ重要かを確認し、第Ⅱ部でこれらの考え方を現実の問題に応用していくという構成になっています。なにか仕事をする人はある程度こういう考え方に基づいて仕事をしていると思いますが、それを人助けにも応用しようという話です。
 こう書くと、なんだそんなことか、と思ってしまいますが、なかなかそう単純にはいかないのです。私たちが直感的に選び取る意思決定は、多くの場合最善の方法ではないということが多くの例とともに本書内に示されています。

...多くの人々は、慈善活動にデータや合理性を取り入れれば美徳が損なわれると思い込んでいるので、人助けについてできるかぎりの知恵を働かそうとは考えない。(p.11) 

...たとえば、おじががんで亡くなれば、あなたは自然とがん研究への募金活動をしようと思うだろう。誰かの死をきっかけに世界をよりよくしようと思うのは、まちがいなく立派な行為だ。しかし、特定の病気だけに肩入れするのは気まぐれではないだろうか? もしおじが別の病気で死んでいたとしても、悲劇的であることには変わりはなかったはずだ。近しい人を失ったときに私たちが気にするのは、死ぬ前の苦しみであって、死因そのものではない。(p.43) 

 慈善活動という点でいえば、ほとんどの人は直感に従い、昔から続いている問題よりも新しい出来事に反応してしまう。自然災害への反応はそのもっとも際立った事例のひとつだ。...(中略)...私たちは病気、貧困、迫害のような日常的な緊急事態に慣れきっているので、常に緊急事態が起きていることを忘れてしまう。自然災害は劇的で新しい出来事なので、私たちの心をよりおおきく揺さぶる。その結果、私たちはそれをほかより重大で注目すべき災害だと誤解してしまうのだ。(p.62-63) 

 フェアトレード商品の需要は急増している。...(中略)...しかし、フェアトレード商品の購入を検討する際には、通常のコーヒーよりもフェアトレード・コーヒーに何ドルか余分に支払うことが、実際のところどれだけ貧困国の人々のプラスになるかを考える必要がある。「ほとんどプラスにならない」というのがさまざまな証拠から導き出される答えだ。(p.139) 

  センセーショナルな記述だし、多くの人の直感にも反するし、実際にがん研究への献金フェアトレード商品を購入している人にとっては「それはムダだ」と切り捨てられているようにも感じるので、反感をもつ人は多いかもしれません。実際、「その活動は効果がないばかりか、有害ですらある」という指摘も多いので、そんなふうに言われると「なにが効果的な利他主義だよ、ケッ」と思ってしまう人もいるでしょう。
 しかしながら向いている方向は「善を成そうよ」ということで一致しているはずですし、効果的な利他主義の基本的な主張は「やるからには最善の方法をとろうよ」ということです。最善の方法をとるには、現状を正確に把握することが大切です。知らないことはそう悪ではなくて、知らないのを認識しながらちゃんと知ろうとしないのが悪なのです。

 そして、今回読んでしっかり心にとどめておきたいと思ったのは以下の記述です。

...できるかぎりのよいことをするとはどういうことなのか? それは新しい証拠を突き付けられたときに信念を変える覚悟を持つということだ。たまたまあなたがいちばん心を動かされた活動ではなく、もっとも影響が大きいという証拠がある活動を支援しなければならない。この「中立性」を貫く態度こそが、効果的な利他主義をこれほど強力なものにしている。(p.213) 

  この本には、著者が効果的な利他主義の理念のもとでいろいろな調査を行って得たデータと、それに基づいてどのように判断すべきかということが具体例豊富に書かれています。仮に書いてあるデータや判断が間違っていても、効果的な利他主義が間違っているのではなくて、調査の方法や推論が間違っているだけなのです。だから、寄せられた批判は虚心坦懐に精査し、間違いのないものであれば取り入れていくのが、効果的な利他主義者なのです。
 この、批判者の指摘を吸収しみずからの糧にできる仕組みは、主義としてかなり強いです。効果的な利他主義は「世界をよりよくする」というグランドデザインを達成するための方法論です。方法論の部分は単に「より多くの事実を集めてそれをもとに判断する」ということです。だから、効果的な利他主義が気に入らなくてを打ち倒したいと思ったら「世界をよりよくすることは悪い」とか「世界をよりよくするとはどういうことなのか」という方向から攻めなくてはならなくなりますが、勝ち目は薄いでしょう。

もう少し理論的なこと

 効果的な利他主義を理解するのに重要な考え方はそう多くありません。数学の「期待値」と経済学の「収穫逓減の法則」です。(基本的な科学の考え方は要るか)

期待値

 効果的な利他主義ではざっくり言うと、ある行動がもたらす「よさ」を数値で表して、数値が大きくなるような行動をとるのが基本です。本書で最初に紹介される慈善活動の方法は「できるかぎりたくさん稼いで、できるかぎり効果的なお金の使い方をする団体に寄付する」ということです。ですが一方で、政治家という仕事は、職を得ることはきわめて難しいものの、ひとたび職を得れば個人では到底動かせないような金額の使い道を決定することに関与できます。本のなかでは、政治家になることは、どれだけのお金を寄付することに値するかを試算するのに期待値を利用しています。
 試算が適切かどうかはわかりませんが、イギリスのオックスフォード大学で哲学・政治学・経済学を学んで卒業し、イギリス議会に入ることを目指した場合、議員になれる確率は1/30。議員になった場合に影響を及ぼせる金額は年間800万ポンド(≒11億円)となるそうです。だから、政治家を目指す学生は112/30=3600万円の寄付と同程度の影響になる*1。任期5年で毎年3600万円を動かせて、さらに収入は6.5万ポンド≒910万円くらいでその一部を寄付できるというのは、なかなか他の仕事ではできないことだから「政治家になる価値はある」という判断ができるというわけです。

収穫逓減の法則

 これは、100万円持っている人と1万円持っている人それぞれに1万円をあげたら後者の方が喜びが大きいという話です。これは本書で勧められる「できるかぎりたくさん稼いで、できるかぎり効果的なお金の使い方をする団体に寄付する」の、「できるかぎり効果的なお金の使い方」を評価するのに大切な考え方です。お金が足りているところに寄付することと、お金が足りていないところに寄付することでは価値が違うからです。
 現在地球上の先進国と貧困国の格差はきわめて大きいものになっています。これはいいことではありませんが、そのおかげで効果的な利他主義に基づく行動が、効果的になっています。

 あなたが年間5万2000ドル以上を稼いでいるなら、世界的に見ると上位1パーセントに属する。アメリカの平均年収2万8000ドルを稼いでいるなら、上位5パーセントだ。アメリカの貧困ラインである年収1万1000ドルを下回っているとしても、世界の85パーセントの人々よりは裕福だ。私たちはまわりの人々と比べて判断することに慣れきっているので、富裕国の人間が世界的に見てどれだけ裕福かを忘れてしまうのだ。(p.19)

...あなたがアメリカの平均年収2万8000ドルの昇給を得たときの便益は、貧しいインドの農家が220ドルの追加収入を得たときの便益と等しいことになる。(p.24)

  これらの考え方を先の「五つの疑問」に答える際に利用して考えると、「最善の方法」に近い慈善活動ができるというわけです。このほかにもQALY、WALYなどといった指標をつかったりして、あの手この手でなるべく定量的に活動の効果を把握しようとしています。

効果的な利他主義への批判

 効果的な利他主義への批判は結構あるようですが、それについて本書のなかで言及されています。

...効果的な利他主義には賛否両論がある。たとえば、一部のレビュアーは寄付の個人的な側面を重視し、たとえ全体的な影響は最大でなくても、自分が情熱を持てる活動分野や、自分の暮らす国や地域の人々にとってメリットのある活動分野に寄付をするべきだと主張している。また、効果的な利他主義は貧困の根本原因(教育の不足、政府の腐敗、圧政、戦争など)ではなく貧困の症状(健康障害など)に着目しすぎているという批判もある。彼らは貧困の根本原因に対処するには制度的な変革が必要だと主張している。
 効果的な利他主義コミュニティの人々は、本書が刊行されるずっと前からそのような議論と向きあい、多くの時間と労力をかけてこうした意見について検討を重ねてきた。...(中略)...アメリカ国内の人々の生活に及ぼせる影響は世界の最貧困層の人々の生活に及ぼせる影響と比べれば微々たるものだという結論にたどり着いた。
 貧困の根本原因に目を向けるべきだという意見に関しては、貧困の根本原因などわからない、というのが私の答えだ。20世紀、韓国や台湾などの国々は貧困から抜け出したが、エチオピアケニアなどの国々は抜け出せなかった。その理由はほとんど解明されていない。(p.211-212) 

  このことは、以下のブログ記事を読むともっとわかりやすいかもしれません。

davitrice.hatenadiary.jp

 

 主な批判への返答は、著者の説明で十分納得いくものだと思います。が、前者の批判(最大の影響が及ぼせなくても、好きな分野に寄付すればいいじゃないかというもの)の気持ちはまぁわからないでもないです。それまで自分がやっていたり、やろうと思っていたことがあまり意味ないと言われると、「そんなことはない」と言いたくなるのはよくあることです。あとは、個々の活動の個性を無視して数値化していくのが冷徹にみえるというのもまぁそうかもしれない。
 でもそうとはいえ、3万円寄付するとして、2.7万円は好きなところに寄付してのこり3千円は効果的な利他主義の考え方で選んだ対象に寄付するとかでも、0円よりは十分効果的だしわざわざ主義にケチつける必要ないんじゃないの?と思います。効果的な利他主義の考えから行くと残り2.7万円もちゃんとしたところに寄付するのがいいので、上の行動は批判の対象になるのかもしれないですが、わざわざ批判しにいく効果的な利他主義者がいたらそれは効果的な利他主義者ではない気がします。効果的な利他主義者であれば、そうして批判して寄付額が減る場合と批判せずに3千円が寄付される場合とを比較して判断するだろうからです(比較の結果批判したほうが便益が大きいという結論が出れば批判するでしょうが)。
 以前読んだ『現実的な左翼に進化する』でも思ったのですが、シンガーや本書の著者マッカスキルのような人は、かなり有益な考え方をしています。机上の空論や絵に描いた餅について話すとき、人は何かと気持ちよくなってしまうものですが、やはり現状の変更はダイナミックには起こらず、すこしずつすこしずつ徐々に変わっていくものです。ルールの変更はその最たるもので、ダイナミックな変更ができるのならもう最初の日本国憲法のはいまや似ても似つかぬ姿になっているでしょう。だから、いま自分にできることは何か、そして一番効果のあることは何なのかということを常に意識して実際の行動をとるのが大切だ、という、いわば当たり前のことを改めて認識させてくれる本でした。

備忘のメモ

 最後に印象的だった部分をいくつか抜き書き。

...たとえば、目覚まし時計の発明前、人々が仕事に遅刻しないよう、朝に眠っている人々の家の窓を叩いて回る「ノッカー・アッパー」と呼ばれる職業があった。(p.174)

 

「寄付するために稼ぐ」という選択肢を検討する際のもうひとつの重要なポイントは、あなたほど利他的でない人々に囲まれて仕事することで、あなたの価値観がいつの間にか消滅してしまう危険性だ。...(中略)

 これは重要な問題であり、もしあるキャリアがあなたの利他的なモチベーションを破壊すると思うなら、そのキャリアを追求するべきではない。しかし、この点はさほど大きな問題にならないことが多い。その理由はいくつかある。...(後略)(p.176)

↑続くのは、「仕事を変えればいい」「利他主義コミュニティに参加する」「モチベーションを維持している人はたくさんいる」という理由。自分にとってはあまり説得的ではなく、今後十分注意して解決策を見つけておかねばならないと思った。

 

...私のある友人は、数学界のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞は、その受賞者についてふたつの物事を証明していると冗談を言った。ひとつはその人物がきわめて重要な物事を成し遂げる能力を持っていること、そしてもうひとつは実質的には何も成し遂げなかったことだ。あなたが一流の研究者で、学界内での地位をある程度犠牲にする覚悟があるなら、応用研究の分野へと移ることで世の中に巨大な影響を及ぼせるかもしれない。(p.183) 

 ↑現状で測れる便益をもとに考えるのが「効果的な利他主義」である以上、基礎科学の価値が低く見積もられるのは仕方がないが、やはり残念な気持ちに。

 

...ボランティアをする人はその分野で専門的な訓練を受けていないケースが多いため、提供できる利益は限られてしまう。と同時に、相手の貴重な管理能力を奪ってしまうことも多い。そのため、ボランティア活動はむしろあなたが手を貸す慈善団体に実害を及ぼす場合もあるのだ。実際、ある非営利組織から聞いた話によると、彼らがボランティアを利用する最大の理由は、将来的にドナーになってくれることを期待しているからだという。...(中略)

 しかし、こうした点だけにとらわれる必要はない。むしろ、獲得できるスキルや経験という観点からボランティア活動を考えることをお勧めしたい。...(中略)

 自分自身にとってメリットがあるからという理由でボランティア活動をするのは少し気が引けるかもしれないが、世の中に影響を及ぼすための第一歩ととらえているかぎり、私はなんの問題もないと思う。どの分野でもそうだが、誰かの役に立つまでには一定の訓練が必要だ。その点、ボランティア活動は経験を得るための絶好の手段になりうるのだ。(p.185-186)

↑切ない話かと思ったら違ってよかった。

 

おわりです。

*1:本のなかでは、800万ポンドを算出したところで止まって、その金額を稼いで寄付した額と比べているが、たぶん間違っている