ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:“Make Kin Not Babies!(赤ん坊でなく類縁関係をつくろう!)” ハラウェイの思想

今回は『現代思想 2017年12月号』の中から、「人新世、資本新世、植民新世、クトゥルー新世 類縁関係をつくる(ダナ・ハラウェイ著/高橋さきの訳)」(p.99~109)という論文を紹介します。2015年に発表された論文の翻訳です。

 

現代思想 2017年12月号 人新世 ―地質年代が示す人類と地球の未来―

現代思想 2017年12月号 人新世 ―地質年代が示す人類と地球の未来―

 

 現在僕は「反出生主義」という哲学思想とそれにまつわる議論にハマっています(僕は反出生主義者ではありませんが)。この論文の著者のダナ・ハラウェイが提案している内容は、「反出生主義」を考えるうえで大きな示唆を含んでいました。

人新世-いま僕らが生きる時代

 著者のハラウェイがこの論文でいいたいことは、“Make Kin Not Babies!(赤ん坊でなく類縁関係をつくろう!)”というスローガンに集約されます。これはいったいどういう意味をもつのでしょうか。

 農業をはじめとした人間の技術によって環境が激変するようになってきた僕らが生きるいまの時代は、人新世(Anthropocene)とよばれます。この名称は、地質時代白亜紀とか、ジュラ紀みたいな時代分類)の一つです。人新世のひとつ前の地質時代は氷河期の終わりから現代までの約1万年間です。氷河期の終わりから現代までたくわえられた豊かな自然資源を使いつぶそうとする営みが、人新世で新たに始まっているというイメージです。ハラウェイはこのことに強い問題意識をもっています。

 ハラウェイは、「自然が安上がりな存在であるという状態はもう終わりだ」というジェイソン・ムーアの言葉をひきながら、次のように述べます。

この世界において、自然を買い叩いて資源を収奪し生産を続行することは、地球の蓄えがすでにほとんど干あがり、燃やされ、枯渇し、毒され、息の根を止められ、使い果たされてしまっている以上ほどなく不可能になる(p.100 )

  また、いろいろな生物種にとっての「レフュジア(避難場所)」が確保されているかどうかが完新世と人新世の大きな違いである、というアナ・ツィンの主張も取り上げながらこんなことを言っています。

我々の仕事は、人新世をなるべく「短く」「薄く」し、手に手を取ってあらん限りの方法を動員し、次の時期を、避難場所をふたたび増やしていけるような時代とすることではないだろうか(p.100) 

  いま住んでいる町がゴミだらけだったり、やくざみたいな人がたくさんいる環境だったら、引っ越しを検討しますよね。アナ・ツィンは、その引っ越し先(避難場所)が確保されていないことが人新世の大きな特徴だ、と言っています。そしてハラウェイは、早くそのような人新世を終わらせよう、と述べています。

“Make Kin Not Babies!(赤ん坊でなく類縁関係をつくろう!)”

 そしてハラウェイは、「レフュジア」の回復と再組成を第一に考えるのがわれわれの課題だと主張します。そこで掲げられるのが“Make Kin Not Babies!(赤ん坊でなく類縁関係をつくろう!)”というスローガンです。

 2100年ごろには世界人口が110億人に達するという予測がありますが、それほど多くの人数を養うことはむずかしいです。一方で、現代フェミニズムによって提起され考えられてきた思想を応用して、個々の存在同士の関係を再考することができる、というのが筆者の主張のキモです。

 私がめざすのは、「類縁関係(kin)」を、祖先や血筋で結ばれた実体とは異なる何か、あるいはそうした存在にとどまらない何かにすることだ(p.103)

  簡単に言うと、新たな子どもをつくるよりも、いま生きているもの同士で深いつながりを結びながら暮らしていきましょう、という考え方です。フェミニズムが出てくるのは、性、ジェンダー、人種、階級、国などにかんする問題提起がフェミニズムの観点から多くなされてきたことによります。人間同士の関係に関する思索を参考に「類縁関係」の構築を考えていこう、ということです。

 ここで述べていることに関連した文章がインターネットで読めます。

子どもではなく類縁関係をつくろう──サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る | HAGAZINE

 

ベネターの反出生主義とのかかわり

 このハラウェイの主張では、あらたに子どもを産むよりもやることがあると主張しつつ、それを人類をはじめとして多くの生物種の絶滅を防ぐための方策と位置付けています。一方、現在流行っているベネターの「反出生主義」は、「子どもは産むべきではない」という結論を主張しており、そこから人類の絶滅も肯定しています。

 ベネターとハラウェイが、出生について共通点をもつ考え方を基盤にしながら異なる結論に至っているということは示唆的です。

まとめ

 出生をめぐる立場について、僕自身は出生主義でも反出生主義でもない「反-出生奨励主義(小島,2019)」が僕の考え方に近いです(この主義の内容は『現代思想2019年11月号 反出生主義を考える』で読むことができます)。

 

  僕はハラウェイのように、人類は地球環境をなるべく維持するように働きかけていくほうがいいと思っています。その方策として「類縁関係(kin)をつくる」という提案はとても魅力的だと思いました。ただ、実際にこれを実行するのはかなりむずかしいことも簡単に想像できます。日本で暮らす感覚だけでも、「家族」の概念は強固です。僕自身、家族は心地いいと思うし、家族と家族でない人とではかかわり方が違います。それを打ち壊して、全然関係のない他人と深いつながりをむすんでいくというのは難しく感じます。

 

論文の最後にハラウェイは次のように記しています。

類縁関係からどのように類縁関係が生成するのか。それが肝心だ。(p.104) 

  既存の価値観にとらわれない「類縁関係」を構築すると、その新しい「類縁関係」同士で新たに関係ができてくる、と言っていると思うのですが、そんなにうまくいくのかな、と思ってしまいました。結局現在の状態と同じなんじゃあないか、と不安がよぎるのです。つまり、新しい類縁関係同士の関係で争うような状況も出てくるんじゃないかと思うのです。

 そしてさらに、正直にいうと自分はかなり保守的で殻に閉じこもった人間なので、だれかれ構わずとは言わないまでも、深いつながりを広めに取り結ぶのに高い壁を感じています。このハラウェイの主張はかなり楽観的な理想論のように聞こえます。とはいえ、「類縁関係」という概念を啓いてもらえたという点で、この論文を読む価値があったと感じました。

(2019/11/13 一部表現を改めました)