ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:『現実的な左翼に進化する』

 この本を読みました。

現実的な左翼に進化する 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

現実的な左翼に進化する 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

 

  こちら↓の記事で紹介されていたので、読んでみました。

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 前回記事(『農業は人類の原罪である』)もこの本も、1999年に出た「Darwinism Today(進化論の現在)」というシリーズのなかの1冊です。ダーウィンの進化論を軸にして、いろいろ考えてみようというシリーズです。日本で出たのが2003年で、ちっちゃくて地味だししかたないのですが、シリーズ全部絶版です。とはいえ、上に貼ったコラムでも書かれているように、2020年の今読んでも大変意義がある内容だったと思います。
 本の内容の詳細や、本の内容を取り巻く現代の潮流を知るには上に貼ったコラムを読めばそれで事足りますが、自分で記録にまとめないとすぐに忘れてしまうので、備忘のために記事にします。

本書のテーマ

 社会や政治の話では、論者の政治的立場を言い表す語がよく出てきます。国家に対する考え方を表すのが右翼、左翼? 経済のしくみを表すのが資本主義、社会主義共産主義? リベラル、保守? などなど。ここ1年くらいでやっとそういう話題に興味が出てきたので、それぞれの言葉になんとなくのイメージができてきたものの、じゃあ説明してくれと言われると、それで正しいのか自信が持てません。〇〇党みたいな感じがソレで、誰々みたいな感じのがアレ、あの国みたいなのがコレ、くらいしか言えません。本書では、「左派」とはこんなものです、とはっきり宣言されていました。スラム街の子どもたちの環境向上に努め、動物保護運動に尽力したヘンリー・スピラ(Henry Spira)という人を引き合いに出してこのように言います。

 ...どうして五〇年以上もの間、弱い人、虐げられた者たちのために活動しているのかと訊くと、彼(注:スピラ)はただこう言った。自分は強い者の側でなく弱者の側に、抑圧する方でなくされる方に、馬を御す騎手ではなく御される馬の方にいたからだ、と。彼は、この世の中にあるあまたの痛みや苦しみについて語り、そういうものを少しでも和らげるために何かしたいのだという思いを語った。
 私が思うに、左派であるとはずばりこういうことなのだ。...(中略)...弱者や貧者、虐げられ搾取されている人々、あるいは単に低いレヴェルの生活でさえ維持できない人々がいて、しかも彼らの苦しみが本来味わわなくても済むようなものだとする。そのときそれらの苦しみを目の当たりにし、肩をすくめ、どうしようもないね、お手上げだという顔をしているとしたら、それは左派とは言わない。所詮それが世の中というものさ、いつだってそうさ、我々にできることなんてないねというのであれば、それは左派とは言わない。左派はこういう状況に対して何とかしてあげたいと思うのだ。(p.16-17)

  なるほどすばらしい!左派として頑張って生きていくぞ!という気持ちになってきます。でも、この本でやろうとしてるのは、左派の理想とする社会の実現について説明することではなく、左派の考え方とダーウィン進化論とのかかわりについて説明することです。ダーウィンの進化論は、科学の一学説にすぎません(大理論ですが)。しかし、かなり刺激的な理論なので、いろんな人がいろんなやりかたで、かなりの間違いを含みながらダーウィンの進化論を社会に適用してきてしまいました(さいきんも「もやウィン」とかいうおもしろい漫画がインターネットに登場していました)。このことを指摘しつつ、科学に正しく立脚しながら制度設計をしましょう、ということを易しく解説しているのが本書です。筆者は、左派の精神をもちながらにしてきちんとダーウィン進化論に基づいた「ダーウィニアン・レフト(現実的な左翼)」となることを勧めています。

進化論と社会

 進化論というのは、「今現在生き残っている生物種は、これまでの地球の歴史のなかで環境が変わっても、死なないで済んだものたちである」ということを主張しています。別にがんばって体の仕組みをつくり変えたりしたわけでなく、たとえばたまたま地表の気温がめちゃくちゃ高くなったとき、暑いのを我慢できる奴が生き残れた(我慢できない奴は死んだ)というだけのことです。そうして生き残った奴らが子を成せば暑さに強めの(遺伝子を持った)子が生まれるし、仮にそうでない子が生まれても死ぬだけです。
 でも、社会では「勝てば官軍」「死人に口なし」「雑魚は黙ってろ」という言葉たちが示すように、「生き残ったという事実」と「良い悪いという価値判断」が結びつきがちです。極端になってくると、社会的に成功しないような奴の遺伝子が残らないのは進化論的に正しいので、別に格差社会で子供を持ちたくても持てないのは正しいことだ、みたいな感じにもなってきます。右派の立場で乱暴な人だと、こんなふうになります。でも、ダーウィンの進化論は「良い悪いの価値判断」には使えません。社会的に成功しない奴の遺伝子が残らないほうがいいと考えるのは勝手ですが、その根拠をダーウィンの進化論に求めることは間違っています。
 じゃあ、左派とダーウィンの進化論はどういう関係なのか...ということが本書のテーマの一つです。
 端的に言うと、有名な学説や理論の多くは、進化論の存在は知っていながらも間違った理解をしていろんな論を展開していたということになります。左派の考え方でもっとも有名なものの一つにマルクス主義がありますが、筆者は「マルクスは進化論を正しく理解していなかった」と言っています。マルクスの唱えた唯物史観によると「物資の生産手段が変わると人々の考え方も変わる」(歴史の発展法則)のですが、ダーウィンの進化論にもとづけばそんなことはあり得ないのです。
 もうすこしひらたく言うと、人間の本性は進化の過程で獲得してきた遺伝子構成によって規定されており、社会のあり方多少変わったところで変化するものではありません。しかし、マルクス主義ではそうは考えず、「社会のあり方を変えれば人間の本性は変わるのだ」と主張します。その当時の論争についてはよく知らなかったのですが、ここまでのことを踏まえると次の記述はすこし笑ってしまいます。

 少なくともプラトンの『国家』以来、完全無欠な社会を築くという概念は西洋人の意識のなかにあり続けている。左派は存在する限りずっと誰もが仲良くて、協力しあい、自由で平和に生きていける社会を追求してきたのだ。マルクスエンゲルスは「空想的社会主義者」を軽蔑しており、自分たちの言う社会主義ユートピア的などではないと主張した。とは言え、彼らが言っているのは、自分たちは共産制社会へと向かう人類の歴史の発展法則を発見したのであり、その社会主義は「科学的」なもの、つまり空想的なものではないというにすぎない。(p.45) 

  「類人猿からホモ・サピエンスになったところで一区切りで、あとはホモ・サピエンスのままでよりよくなっていくんだ!」というような、ホモ・サピエンス以前以後で頼りにする考え方を恣意的に切り替えているところがよくなくて、結局科学的ではないよね、という話になってきます。実際意図するとしないとにかかわらず、これまでの左派とダーウィン進化論の相性はあまりよくなかったようです。
 ここまで見ると、左派も左派で、わりと結構とんでもないこと言ってんなという感じがします。すこし極端に言えば、仕組みの設計次第で、望むように人間を変えられると言っているわけなので。
 こういうことについて、筆者は次のように述べています。

 木工職人が材料になる木を与えられ、木の器をつくるようにと言われたらどうだろう。彼らは木材を目にする前に考えていたデザインに沿って削り出したりはしない。その代わり素材をじっくりと調べ、その木目に合うようにデザインの方を修正するだろう。...(中略)...社会を改革しようとするなら、人間に元々備わっている傾向について理解し、自分たちの観念論的な理想をそれに合わせるべきなのだ。(p.68)

 たぶんここが、本書の肝になる部分です。なにをするにも、この観点は大変重要なことです。この文章に続いて、具体的にどのような社会をデザインすればいいのかを提案していきます。

ダーウィニアン・レフトのとるべき行動

 最後に筆者は、ダーウィニアン・レフトがとるべきでない行動と、とるべき行動を列挙します。大変重要だと感じたのでメモしておきます。

 ダーウィニアン・レフトは以下のことをすべからず。

・人間の本性の存在を否定すること、ならびに人間の本性は元々よいものである、あるいは限りなく変えられると主張すること

・人間どうしの対立や反目はすべてなくなると、政治革命、社会革命、あるいは教育の充実などの手段を問わず、期待すること

・すべての不平等が、差別や偏見、抑圧や社会条件に原因があると決めてかかること。それらが原因である場合もあるだろうが、すべての場合そうだとすることはできない

 ダーウィニアン・レフトは以下のことをすべし。

・人間の本性があることを受け入れ、それについてもっと知ろうとすること。そうすれば人間はどういうものかについての証拠のうち、最も利用できるものに基づいた政策が可能である

・「そういうのが本性である」から「それが正しい」へと決して推論しないこと

・様々な社会的・経済的システムにおいて、多くの人が地位を高めようとしたり、権力の座を得ようとしたり、あるいは自分と血縁者の利益を求めたりして競争するだろうと考えること

・競争よりも協力が育む社会構造を展開させ、皆が望んでいる競争の終わりという方向へ事が進むよう努力すること

・我々が人間以外の動物を食い物にしているのは、ダーウィン以前の、人間と他の動物の間の境目を誇張した過去から受け継いだものである。そのことを認識し、人間以外の動物により高いモラルをもって臨み、自然に対する我々の優位という人間中心的な見方をとらないようにすること

・弱い者、貧しい者、虐げられている者の側につくという左派の伝統的な価値観の上に立ちながらも、どんな社会的・経済的な変革をすれば本当にそういう人々のためになるのかを非常に注意深く考えること

(p.100-103)

 全部ばっちり実践するのは大変難しいですが、暗唱したいくらいのリストです。

最後に

 左翼的だったり、リベラルだったりする意見は最近よく目に入ってきます。理想的で耳あたりのよい言説が多いのですが、「果たしてそんなことは可能なのか?」という青写真だったり方法が提案されていることもままあります。そこに欠けているのはこの本に書かれていることかもしれないね、と素直に思いました。『農業は人類の原罪である』と同様、訳者の竹内久美子さんによる解説もよいものでした。
 ちなみに、本書のタイトル『現実的な左翼に進化する』は、進化論的には間違っていますね(個体は進化しないので。原著タイトルは、Darwinian Left)。進化論の誤った理解を告発するこの本のタイトルがこうなっているのはちょっとどうなのか、と思うところはありますが、しかし本のタイトルとしてはかなり機能的です。訳者にそれがわからないとは思えませんが、まぁ何かあったんでしょう。

 それにしてもこの本、絶版なのが大変残念です。持ってるけど要らない人がいたら現実的な価格で譲ってほしいです。

 おわりです。