この本を読みました。
とはいっても、全部は読んでいません。
『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンス博士の論考「クローニング、何が悪い」を読むために取り寄せました。この論考が発表されたのは1997年。ちょうどクローン羊ドリーが誕生して世間がびっくりしていたころです。
まずはっきりさせておきたいことは、ヒトのクローン作製には現在の技術ではまだ足りないということです*1。クローン動物では発生過程が正常に進まない場合が多いこと、発生しても奇形が多いことなど技術的な問題は多く、そこから推論するに人間でも同様だろう、というのが一般的な見方のようです。とくにヒトクローンの場合、すでに生きている人間が母体になる必要があるので、そちらの安全確保も考慮せねばなりません。〔中国のゲノム編集ベビーのニュースは一瞬盛り上がったけれど(2018年末頃)、続報がみつからないです〕
羊の場合、ドリーこそ誕生後病気で若くして死んでしまいましたが、そのあとに生まれたクローン羊たちは元気に生きのびているそうです*2。
こと倫理や価値観がからむと、本を読んだからといって決まった答えは出てこない。私たちはもっと大人になり、自分たちが住みたい社会をはっきりと思い描き、それを実現するため実際的な難問を、考え抜いた上で解決していかなければならない。民主的で自由な世の中を望むなら、誰もが納得する理由がない限り、他人の希望を妨げるべきではない。ヒト・クローニングについても、それを求める人が出た場合、禁止を主張するにはクローニングが誰に対しどんな害があるのか、明示する責任がある。(p.56)
ドーキンスの論考は、この部分に尽きます。文章は、クローニング技術のヒトへの応用に批判的な宗教家に対する批判がメインでした。倫理や宗教上の主張であれば合理的な理由がなくても認められるのはおかしいというのが基本的な主張です。ただ、技術が未確立な現段階では、どちらかというとクローニングを行う側が、技術がどれだけ安全かを示さなくてはなりませんね。
この論考が書かれた当時は、羊のクローニングが成功して、それが人間に応用されたらどうなる!?と多くの人がざわついていたころでした。今では多くの国で、ヒトのクローニングは禁止されています。国によって、クローン胚(受精卵からちょっとでも細胞分裂を始めた状態)の作成自体を禁じたり、胚を胎内に入れることを禁じたりとばらつきがありますが、クローンベビーの出産にはたどりつけないようにしてあります。
ドーキンスは、技術を求める人がいるなら使えばいい、という立場でした。ただやはり、技術の確立までにどうしても人体実験が必要になるので、各国が禁止の立場をとるのは妥当なことだと思いました。
でも、人体実験がなんでダメか、と言われるとちょっと困ってしまいますね。技術の確立までのすべての過程で、「ぜひ自分の身体を使って実験して確かめてください」という人がたくさん現れたら、それは認めていいのでしょうか。直感的にはやらないほうがいいと思うのですが、被験者がどんなことがあってもOKと言っていれば禁止する筋合いはないような気がします。薬の開発でも、事前に毒性の検討は十分するとはいえ結局臨床研究はするわけだし、臨床研究段階で被験者が死んでしまう可能性はあります。臨床研究を禁止することによる損失が大きいから、という理由だろうとは思うのですがここの線引きは明らかとはいいがたいです。
各国の法律制定のなかで、どのような倫理的基礎付けがあったか、機会があったら見てみます。いい本あったら教えてください。
以上です。