ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:それをしてどうなるんですか?と聞かれて答に窮するようなことはやめませんか?『レイシズム』

この本を読みました。

レイシズム (講談社学術文庫)

レイシズム (講談社学術文庫)

 

…私たちが傲慢無知であったり、あるいは恐慌に煽られて平常心を失うとき、分かりやすくて耳に心地よい物語がそっと忍び入る。自暴自棄になったとき、私たちは誰かを攻撃することによって自分を慰める。物語は、一方で私たちを時代の正統なる相続人と褒めそやし、もう一方で他者を根絶するべき劣悪な血族と貶す。この半世紀をみる限り、レイシズムの幹となっているのは科学ではなく政治である。(p.167、第七章 レイシズムの自然史)

…すべての闘いが悪というわけではないし、時にはそのどちらか一方に加担しなければいけないこともある。しかしその判断は、レイシズムという危うい足場に立って行われるべきではない。(p.168、第七章)

  今年はコロナウイルスの影響で、多くの問題が世界中で噴出しています。そのなかで、レイシズム(人種差別)っぽい活動のニュースがながれてきて精神を削られるという毎日でした。あーぁ、レイシズムって最低、と思っているところで本屋に行くと、この本が置いてあったので、特に中身を確かめもせずに買ってしまいました。あまりにも現在起こっていることに重なる指摘ばかりでさらに落ち込んでしまいましたが、問題点が明快に整理されたので読んでよかったです。

 これは、第二次世界大戦中の1940年に初版が出た本で、そのころといえばナチスがおそろしい人種差別にもとづく大量虐殺を行っていたときでした。著者ルース・ベネディクトアメリカ人で、日本文化研究の本『菊と刀』で有名な人です。巻末の解説によれば、この本には、多人種で構成されるアメリカ人たちを戦争でまとめあげるためのプロパガンダ的な側面があった、と書かれていました。とはいえ、この本のなかに書かれている分析や提言は冷静で建設的であり、なにより普遍的に誰もが意識すべきものだと感じられました。

 全部で8章構成になっており、レイシズムの定義や歴史、科学的な根拠のなさなどを確認したのちに、レイシズムをはじめとする少数者への迫害をどのように捉え、どう対処していくべきかはっきりと提案されています。

 冒頭に引用した部分は、現在世界中で起こっている大小さまざまなもめごとのことを言い表しているように感じました。大量虐殺のような事件こそ目に見えて起こってはいませんが、80年も前に書かれたテキストで指摘されている問題がいまだ解決されずに残っているとは恥ずかしいやら悲しいやら、残念やら腹立たしいやら、なんと言い表してよいのかわかりません。

 ベネディクトは本書の最後のほうで、次のように述べています。

 現状を変えるためには、ひとり残らず全ての人間に、日々の糧が得られるような労働の機会をつくることを「粛々と」進めなければならない。教育および健康と、そして万が一の場合には逃げこむことができるシェルターを全ての人間が手に入れられるようにしなくてはならない。すべての人間、つまり皮膚色や思想信条や人種に関わりなく、全員の市民権を守らなくてはいけないのだ。(p.195、第八章 どうしたら人種差別はなくなるだろうか?)

 いま現在、ウイルスの蔓延で「労働の機会」「教育」「健康」「万が一の場合に逃げこむことのできるシェルター」のすべてが脅かされているように感じています。こんななかでも、複数国がひとつの国に損害賠償を請求するとか(国際裁判所で裁判が行われて判決が出ても賠償を支払う法的な強制力はない)、休業「要請」に従わない事業者を公表する(公表したら市民による私刑で圧力がかかって休業するかもしれないけどそれでいいのかよ)とか、マスクをしてない「だけの」人が糾弾される(ウイルスに感染してなかったらだれにも移ることはないんですけど)とかとかとか…ほとんど本質的ではないテーマで分断が起こっています。きわめてすくない根拠やあまりに不合理な理由をもとに、感染症流行の原因を誰かのせいにする(というかほとんどただ槍玉にあげるだけ)というのは、本書で解説されているレイシズムの特徴・歴史と全く同じ構図になっています。その責任追及の相手を憎み、排斥したら状況が劇的によくなるんでしょうか。ならなくないですか?

 いまところどころで起こっている大小さまざまなことが、レイシズムとおなじような非常におそろしいことだと認識している人もたくさんいるんだろう、とは思います。それでもやはり、誰もが不安なこの状況で、少数者迫害の特徴のような出来事が起こり、その主体が国家だったり自治体の首長だったりして、それへの賛同の声がある程度みられるという状況なのです。こんなにおそろしいことというのは、そうそうないのではないでしょうか。ベネディクトは次のように述べています。

 そもそもの問題が人種ではないことに、私たち皆はもう気づいているではないか。既得権益層は死にものぐるいで現状維持を行い、持たざるものがそれを批判する。貧困、雇用不安、政府間の対立、そして戦争。捨て鉢になった人間は生贄を求める。一瞬の間だけ、みじめな境遇を忘れさせてくれる魔法である。支配する側の人間、搾取する側の人間は生贄をささげることに反対しない。むしろ積極的にそれを推奨する。人々が暴力沙汰に興じているのは支配層にとって好都合でさえある。もしそれがなくなったら、怒りがいつ自分たちに向くかわからないから。(p.182-183、第八章 どうしたら人種差別はなくなるのだろうか?)

 こういう構造があって、こんなしょうもないことしててもなんにもならない、ということを、大多数の人びとが大なり小なり考えないと、状況は好転しないと思います。

教育について

 本書の最後のほうで、「人種差別をなくすにはどうすればいいか」についての考えが表明されていました。特に重要だと思ったのは以下の、教育について述べている部分です。

...子供だろうと成人だろうと、教育は大事である。偏見のない明るい精神を作ることができる。しかし学校で培われた良心を生かすためには、まずは社会の側に差別をなくし、機会への障壁をなくすことが必要になる。地獄への道は善意で舗装されている――善意とはすなわち、手段に過ぎないものを、考えもしないで最終目標の座に据えてしまうことである。教育が大事だと決まり文句のように叫ばれるが、教育を通じて具体的に何を達成しようとするのかを明らかにしなくてはならない。(p.196、第八章 どうしたら人種差別はなくなるのだろうか?)

 このあとに、目標として据えるべきことがつづいていてそれは大事なのですが、そんなことよりこの「何を達成しようとするのかを明らかにしなくてはならない」という部分がきわめて重要なことだと思いました。「なにかを達成するには理想を掲げましょう」という人生初心者向けの自己啓発本みたいなやつによく書いてあるようなことなんですが、ともすれば忘れがちだし、よくよく考えると理想を決めるというのはむずかしいのです。だから腰を据えて、すぐに答えは出なくても人それぞれ考える時間を持っておかなければならない。

 人々の行動の様子を見ていて「それをしてどうなりたかったんだ?」と思うことが最近多いです。ここ最近で一番思ったのは、2月末くらいに岩田健太郎医師が「都市封鎖はしないほうがいい」と発信した意見に対して、「子供の通ってる幼稚園の学級閉鎖でインフルエンザの流行が食い止められたというエビデンスがあるんですけど、あなたの言っていることは間違いではないですか?」といって絡んでる人がいたのをみたときです。岩田医師がどう答えたら満足だったんだよ。

 もう緊急事態になっちゃったから今さら遅いんですけど、こういう緊急事態みたいなことも想定して、いろんな活動の理想を決めて準備しておかないとだめだよね、という気持ちが新たになりました。

訳者の解説と訳文について

 この本の訳文は大変読みやすいものでした。訳者の阿部大樹さんは、1990年生まれとなんと自分と同い年の精神科医であり、自分との格の違いをまざまざと見せつけられました(僕もいつか翻訳者になりたいな、とか思っているので。いつかとか言っている時点でヌルすぎるが)。こんなすばらしい翻訳ができるのは、相当なものだと思います。

 そんな訳者のあとがきに、いくつか印象的な文がありました。

 この本は、第二次世界大戦中に書かれた古いものです。最新の国際情勢とか、明日から役に立つアドバイスが書かれているわけでもありません。けれども私は、この本に不思議な迫力を感じて、これを訳しました。迫力を感じるのは、この本が書かれた後の歴史を私たちが知っているからでもあるでしょう。...(中略)...人間に生まれつきの優劣などないのだというこの本が、こうして古典になるまで読み継がれてもいることは、戦後の歴史の中で決して小さくない役割を果たしているように思います。(p.202、訳者あとがき)

  そうとは分かっていても、私たちはそういうシンボリックなもの[引用注:人種とか国籍とか]に心を奪われてしまいますから、私たちが具体的な人間関係を軽視して、抽象的なことばかり考え詰めてしまうパターンはこれからも続くでしょう。でもだからこそ確固としたもの、事実といえるところにまで立ち返って、そこから話を始める必要があるのではないでしょうか。『レイシズム』は、その拠り所となる本だと思います。(p.204-205)

  僕からつけくわえて言いたいことはなにもないのですが、本書はまさにここで解説されているような本です。このあとがきにも書いてありますが、アメリカでは去年、この本の新装版が発売されたそうです。トランプ大統領の振る舞いを想起させる文章がたくさんあって、アメリカでこそ再読されるべきなんじゃないか、と思いながら読んでいましたので、ぜひとも本国で売れていてほしいものです。

備忘のメモ

 最後に、備忘のために印象に残った箇所をいくつか引用して終わりにします。引用してる部分の「人種」「レイシズム」は他の特徴や差別に置き換えても通用します。

...人類は他のなによりも自分たち自身に強い興味を示したから、ネズミであれば何の気にもならないような些細な差異も、それが隣人に生じているとなれば、迫害や排斥の理由になった。ヒトが動物であったなら、まったく取るに足らないほんの小さな違いだったことには変わりないけれども。(p.52、第四章 移民および混交について) 

 …異人種間で結ばれた男女とその子供は差別されて社会資源を奪われてしまうから、経済的に貧しくて教育程度も低い環境に置かれてしまう。だから人種の混交にどのような害悪があるのかと反問されることはない――子供たちの状態が、なによりも雄弁に真実を語っているように見えてしまう。しかし子供たちが劣悪な環境に追いやられるのは混交の生物学的な結末ではなくて、あくまでも現代社会が垂れながす害毒である。(p.64、第四章)

 …ヒトは群生動物であるから、周りからの評価をいつも気にしている。衣食住が満たされるとすぐに、人間は自分の所属する社会が推奨している形で尊敬を獲得しようとする。領土拡大を良しとする社会であれば、一人ひとりが侵略者になる。富の蓄積を良しとする社会であれば、一人ひとりが人生の成功をドルとかセントの単位で測るようになるだろう。カースト制を良しとする社会であれば、一挙手一投足を自分の出自に沿って取り決めるように一人ひとりがなっていく。(p.111、第六章 どの人種が最も優れているのだろうか。太字部分は実際は傍点)

…科学者が個々のファクトについて指摘をしても、レイシスト信仰はびくともしない。レイシズムの根源を解明するのは科学的追求ではない。求められているのは、どのような条件がそろったときにレイシズムが生まれ、そして蔓延したかを明らかにする、歴史学の視座である。(p.119、第七章 レイシズムの自然史。太字部分は実際は傍点)

 …時代が信じたいものを信じているほど、そして時代が無視したいものを無視しているほどスローガンは優秀である。宗教が第一であった年代には宗教を理由にしてマイノリティは攻撃されたし、経済とか政治が大事になれば、適当に理由を変えてマイノリティは迫害された。(p.178、第八章 どうしたら人種差別はなくなるのだろうか?)

…全員にフル・スペックの人権を保障することは、マイノリティのためだけの策ではない。少数派は生贄にされているだけであって、野蛮返りしているのは迫害に加担している多数者の側である。もしも私たちが平等のための対価を払わないのであれば、私たちが、つまり迫害する側にいた個人が、いつ罠に嵌められて、そして反逆者として指さされることになってもおかしくはない。(p.186、第八章) 

…取り除くことのできない性質について悪罵されることがなく、日々尊厳ある生活を送り、その生活を周りからも尊重されること、これが人権である。そして人権の保障されることは、ただ一人だけの問題ではなく、社会のより深いところに響くものを残すはずである。(p.187、第八章)

 以上です。