ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:「転生もの」も楽じゃない『ゼロからトースターを作ってみた結果』

この本を読みました。

  僕はよく、遠い昔にタイムスリップしたときに現在の生活をどれくらい再現できるだろうか、と考えます。たとえば、エアコン。空気を圧縮・膨張させて熱交換を行って冷却と加熱を行う、というのは、学校で物理学の授業を受けた人の多くは知っている知識です。でも、どうやって圧縮・膨張させるのか(=コンプレッサーってどうやってつくるのか)? さらに、温まった(もしくは冷却した)空気を移動させる方法は? そのためにいい感じのパイプを作ればいいとわかったとして、いい感じのパイプはどうやって用意するのか? エアコンは複雑だし、暑さ寒さは最悪我慢すればいいとして、じゃあTシャツの布ってどうすれば用意できるのかしら? 何をどうすれば、いま身につけているような形の布が準備できるのか、正直想像もつきません(綿をいい感じに加工するんでしょうけど、綿花を育てて綿を採取したところで、どうやって布に? そもそも綿花ってどこに生えてる?)。でもTシャツはないと、暮らしはけっこう立ち行かないのではないだろうか…。獣を捕らえて毛皮をゲットすればいいのかもしれませんが、石器や鉄器を作らないと勝てないし、なにより戦って勝てるぐらい強くないと衣服さえ得られないとなれば現代人の多くは全裸でいなくてはならない…。

 僕は料理がわりと好きなのですが、その理由は、「親しみのある材料から、なんでそうなるかわからないものができあがるから」ということと、「意外とできるから」です。このあいだクリームコロッケを初めて作りましたが、「あぁ、知らなかったけどこうすればいいのね」という工程が何か所かありました。でも、電化製品には「意外とできる」という部分が欠けているので、日常生活で「エアコンでも作るか~」とは絶対になりません。

 

 本書は全部で7章構成で、それぞれ、「解体」「鉄」「マイカ」「プラスチック」「銅」「ニッケル」「組み立て」。トースターを自作するに当たって準備するべき原料別になっているのですが、そのほとんどが「金属」です。すこし想像してみるとすぐにわかることですが、金属を現代の電化製品で使われている部品の形になるまで加工することは、丸腰の人間にはきわめてむずかしいことです。たとえば、wikipediaで「鋼」の項をひくと次のように書かれています。

鋼の生産は、先ず赤鉄鉱や磁鉄鉱など採掘された酸化鉄である鉄鉱石を高炉で還元させて銑鉄を得る。縦長の高炉上部から、鉄鉱石・コークス・石灰石を投入し、下部から熱ガスと空気を送り込んで800℃以上を維持するよう燃焼させる。これにより、コークスから発生する一酸化炭素が酸化鉄を還元させて銑鉄が得られる。この工程は高炉の耐久性限界まで連続して行うのが通例である。(wikipedia、鋼より)

 ある程度の化学教育を受けていると、これくらいの記述に出会っても「へ~、それでそれで?」と先を促したくなるわけですが、よく考えると【「鉄鉱石」を「高炉」で「還元」させて「銑鉄」を得る。】とは? 【「コークス」・「石灰石」】とは? そして【「800℃以上」を維持する】とは? …考えてみると、超えるべきハードルがかなり多いです。自分は大学院にまで行って化学を専攻したはずなのですが、ここで「」をつけたものをどう準備したり実現するの?と言われても、すらすら答えられません。

 今回紹介するこの本には、タイトルの通り「トースターをゼロから作る」ということの記録が書かれています。「なぜトースターなのか」という理由は、次のように説明されています。

 これまでのところ、何が必要で、何がそうじゃないかを決めてきたのは、僕たちの財布だ。人々に買われるものは必要なものとして残り、そうでないものが淘汰されてきた。しかし、その「投票方法」は本当に万全だと言えるのか?

 僕にとって、トースターとはすなわち、必要なものと不必要なもののボーダーライン上にある、多くの製品の象徴なんだ。(p. 32、第1章 解体) 

  突飛なアイディアで走り出している本書の企画の底にも、けっこう哲学的な思索にもとづいた動機があるようでした。

 本書内ではいろいろな原料を準備するにあたって、鉱石をどこから持ってくるのかという根本的なことが主要な問題になっています。本文中に、鉱山管理者の象徴的なコメントが出てきます。

…レイ〔引用注:鉱山管理者の人〕が僕にはっきりと言ったのは、採掘とはそう軽々しく考えるようなものではないということだった。削岩機や爆薬も必要になる。しかも、半日仕事でもない。というのも、鉱業所内の作業場に行くには、トロッコに乗って地下深くへと、長時間移動しなければならないからだ。(p.51、第2章 鉄)

 本書では深く言及されていませんが、本当にゼロからやるにはトロッコを通すための線路を作って敷設する作業も必要で、当然その線路の準備には鉄が要る、という状態なのです。本書では、筆者は鉱業所から持って帰れる状態の鉄鉱石を拾ってくるという方法で原料をゲットしていましたが、仮に自分が遠い過去にタイムスリップした場合に、タイムスリップしてから死ぬまでにいい感じの鉄鉱石をゲットする方法を確立できるかというと無理だと思います。で、さらに鉄鉱石をゲットした筆者はなにをするかというと、鉄の精錬をするわけですが、それもむずかしい。800℃以上の高温を維持できる炉が必要なのですから。

 かなりユーモアに富んだかたちで原料の準備過程が紹介されていくこの本ですが、「研究」という視点でもかなりおもしろいです。たとえば「鉄の精錬」について調べようとしても、工業的に大規模にやる方法を説明した文献はあっても、個人で小規模に行う方法が書いてある文献はほとんどなく、16世紀に書かれた論文がやっと目的に合致した、とか書いてありました。

 本書では、現代で「なにかやろう!」と考えたときに、いろいろな前提が軽々と覆されていくようすが克明に描かれているのですが、覆された結果丸腰の我々にできることはあまりにも少ないのです。でも、そこに果敢に食らいついていく筆者の姿はかなり好ましかったです。知識をもってタイムスリップするような「転生もの」は現代のエンタメの主要ジャンルになっていますが、それもそんなに楽ではない、ということがまざまざと見せつけられました。

環境問題へのまなざし

 いやぁ、この企画ウケますね、で終わってしまうのもいいんですが、本書の最終章にかなり示唆的なことが書いてあります。長いですが、自分の備忘の意味も込めて引用します。

例えば、バリュー・レンジ内部の銅が、チリにある鉱業所によって露天掘りされたとしよう。前述の通り、地面に掘られた巨大な穴には水が溜まる傾向がある。そしてパレース・マウンテンなんかがそうだったのと同じように、その水にはむきだしの岩から鉱物が溶け出す。水は酸性化し、ヒ素などの大量の有害物質を含んだそれは、通常、近くにある川に流れていくことになる。

 現時点で、川を「所有」している人はいないから、鉱業主は川を汚染していることに対して一切対価を支払う必要はなく、おかげで僕らはその安い銅を使った、安いトースターを手に入れることができる。ただ、当然、誰かがその代償を支払っている。たとえば川沿いに住む人、あるいはその水を生活用水として使っている人たちのことだ。

 僕らもまた安い銅の恩恵を受けているけれど、その対価を支払わなくてもいい。少なくとも、支払わなくてもいいことになっている。(p.178、第7章 組み立て) 

  筆者は、電気屋で最安500円で買えるトースターを作るために約15万円(主に交通費)の費用をかけました(そして、到底店頭に並べることができないようなクオリティの代物が出来上がりました)。そこでわかったのは、「500円でトースターが買えちゃうなんておかしなことだ」ということでした。その安さの陰には、金額に乗ってこない負担を負っている人がいるに違いない…。理屈でこういうことを理解している人は多くいると思いますが、実際にゼロから作ってみた人の言葉には重みがあります。

 一個人が、現在世界中で機能している資本主義の流れを止めたり変えたりすることはむずかしいです。だから、ここで筆者が主張しているようなおかしさを認識したところでできることはほとんどありません。が、かといって知らなくてもいいでしょう、ということではないわけです。

 自分のことを振り返ると、職を失ったり先行きが不透明だったりすると不安を感じますが、その不安の大きな要因は「必要なことを自分一人で賄えないから」ということにあるんじゃないかと思うのです。失職してお金がなくなっても、木を切り出して家を建て、畑を耕して作物を作り、野を駆ける獣を狩って肉や毛皮をゲットすれば衣食住は満足させられますが、現代社会ではそんなことは不可能です。家を建てたり畑を用意する土地を得るにはお金が要るし、野を駆ける獣がいても捕獲には許可がいるし、そもそもそんな獣はめったにいません。そこを犠牲にして打ち立てたこの現代社会のシステムに大きな価値があるといえばそうなのですが、いざそのシステムが崩壊したときにちゃんと暮らせるという自信がもてる、という意味で、この「ゼロからトースターを作る」という営みは大変参考になるものだ、という感想をもちました。実際にやるかどうかは別として、いざとなったらできるように知識を持っておくと、かなりの自信になるぞ、と強く思いました。

 余談ですが、『バトル・ロワイアル』という小説で、異常にサバイバル能力にたけていたり、爆弾の作り方を知っていたりという、普通では役に立たないが異常事態に役に立つ知識をもっている人が出てきます。僕自身は、個人的にそういうものにあこがれる傾向があり、本書の著者はその枠に入ります。

備忘のメモ

 最後に、おもしろくて覚えておきたかった部分をいくつか引用して終わりにします。

(筆者が話を聞きに行った、金属が専門の教授の言葉)... トースターのほとんどは鉄と鋼鉄でできているけど、それが多く使われるのは、安いから、そして大量に生産できるからだ。ただ、個人でやるとなると話は別だ。鉄を精錬するのは骨が折れるぞ。自分一人でやるつもりなら、銅の方がいいだろう。銅はそこまでの高熱じゃなくても抽出できるからね。人類がまず青銅器時代を迎えた理由がそれ。クソ簡単なのさ。(p.35-36、第1章 解体)

  クソ簡単なのさ。だって。さらに教授の言葉。

教授 プラスチックの問題は、それが原油から作られてるってところにある。一筋縄じゃいかないぞ。青銅器時代の前にプラスチック時代がこなかったのはそれが理由だから。(p.44、第1章)

 

筆者が鉄を作ろうとしたときのこと。

(筆者が鉄の精錬に失敗した後の記述)じつを言うと、木炭と正しい知識と技術があれば、わざわざピッグ・アイアン〔引用注:銑鉄のこと〕から不純物を取り除くというプロセスを経ることなく、鉄鉱石から直接、これらを抽出することができた。でも、木炭も知識も技術ももちあわせていなかった僕にあったのは、やる気だけだった。無機物相手に、やる気だけじゃ無理でしょ。(p.71、第2章 鉄)

  たしかに、無機物相手に、やる気だけじゃ無理ですね。

 

筆者がプラスチックを作ろうとしたときのこと。

 遠い未来の地質学者たちが現代の地層を調べたとすると、多くの種の化石の消滅、放射性物質の急激な増大、「新たな分子」の出現、といった変化を検知するだろう。そして、その「新たな分子」の正体は、僕たちが廃棄した(ポリプロピレンなどの)化学製品だ。ということは、遠い未来、地中のプラスチックのかたまりも、鉄鉱石などの岩と同列のものとしてとらえられることになるはずで、つまり「人類の時代」においては、それを「採掘」したとしても、ルール上、問題ないということになる。

 えぇ、ルールの拡大解釈ということは認めますけど、そのルールは僕が作ったものだから、僕が破りたかったら破ってもいいんです。(p.126、第4章 プラスチック)

 かくして、トースターの外側のプラスチックは、ゴミ捨て場から拾ってきたゴミのプラスチックを溶かして成形しなおすだけでよくなりました。(でもそれも簡単なことではない…。)

 

以上です。