この本を読みました。
DavitRiceさんのブログで書評されていた本で、タイトルが頭に入っていたところ本屋にいったらあったので買ってしまいました。以下はDavitRiceさんのブログ記事。
タイトルがとてもよく耳に残るものであるし、内容もよい本でした。
この本は、なんと倫理学の入門書です。倫理学は、人間のよい生き方についての学問。「そんなものに学問や教科書なんかあるのか?(あるもんか!)」と思った人はぜひ読むといいと思います。面白いです。(p. 5、まえがき)
...この本は、多くの人にとって最初で最後の倫理学の本になるだろうけど、それだけでも十分に役立つ、かなり役立つ、すごく役立つというつもりで書いたものです。(p. 7、まえがき)
ここに書かれているとおり、おもしろいです。 とくに、倫理学の構造についてポイントをつかんで解説されており、今後の学習のよい道しるべだなぁと思いました。「最初で最後の倫理学の本になるだろうけど」というのも好ましいです。一冊で完結させてある、というのは大事。
内容ですばらしいのは、「一般的にはこうだ」という解説に終始しておらず、著者の「これはダメ」、「これはいい」という判断とその理由がお茶を濁さずに書かれていることです。専門的な本は、(有名なんだろうけど僕は知らない)誰々がこう言ったという話が次々に出てきて興味をそがれたり、表現が持って回っていたりしてよくわからないことが多いのですが(自分がそれを読めるレベルに達していないという問題もありますが)、この本では、考えるべきテーマとそれを考える材料、筆者の意見がわかりやすく、かつ十分説明されていました。筆者は、本書のコンセプトを次のように説明しています。
...私はこの本では、「専門家から突っ込まれる」という心配は忘れることにしました。大事な点を分かりやすくするために、オーソドックスでない説明のやり方も使いました。おかげで、ちょっと倫理学を知っている人から見ればツッコミどころ満載かもしれないけど、たぶん、これを読み始めた頃のみなさんにはそれが分かりません(分かれば大したものです)。(p.9、まえがき)
とくによいのは、有名な倫理学説(カントとかアリストテレスとか)の大枠を説明して、「この本では、その枠の中でいえばこんな位置づけの、オリジナルな着目のしかたで進めますよ!」と宣言してからいろいろ個別のテーマについて検討していくというスタイルだったことです。かといって独自の見解を好きなようにふるうのではなく、これまでの倫理学の蓄積にもきちんと目配せしてあるすてきな構成になっています。
ツッコミどころはあるし、僕自身はあんまり賛成できない部分もありますが、読んでおもしろい本ってスキのない完璧な理屈が書いてある本じゃなくて、ツッコミながら考えられる本なんですよね(筆者もそれを狙っているようですし)。というわけでオススメです。
以下、備忘のメモを兼ねてオススメポイントを書いていきます。
倫理の原理(本書の「付録パート3」について)
この本でもっとも有用だと思ったのは「付録パート3 倫理の基本原理」という11ページくらいの部分です。タイトルの通り、ここでは倫理学の基本原理はどうなっているのか、ということを、有名な倫理学説の論者(ベンサムとかカントとかアリストテレスとか)を引き合いに出しながら説明しています。
僕が倫理学に興味がある個人的な理由は、「判断に迷うさまざまな問題に対して、迷わずに判断できる基準を知りたい」ということです。たとえば物質の世界であれば、ニュートン方程式とかシュレディンガー方程式などのような基本的な決まりごとがあって、いろんな現象をそれに照らして理解することができます(もちろん、最先端の研究ではそれでは把握しきれないキワみたいなところを調べようとしているわけですが)。似たようなものが、人間関係においても存在しないものかなぁ、というのが、僕のモチベーションなわけです。この付録パート3では、そういう基本的な決まりごとに着目して「倫理学説とはなんなんだ」ということが分かりやすく分類・整理されているのです。
筆者の分類では、これまでの倫理学説を大きく分けると「原理が1個」「原理が複数」の2パターンあるとされています。具体的には次の通りです。
原理が1個のもの
- ベンサムの功利主義(公利主義):「最大多数の最大幸福」で有名なやつで、すべての人間の「幸福」を量として計算し、その総量が多くなるような行為が善、少なくするような行為を悪とする考え方。
- カントの義務論:ひとくちに言うのはむずかしいですけど、「あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(wikipediaより引用、『実践理性批判』の中の文)というような感じです。あなたの意志の格律が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ、と言っています。
原理が複数のもの
- アリストテレス倫理学:勇敢、節制、寛容、温和、などなどに気をつけていきなさい、という感じのもの。「中庸」というもう一段深めた概念もあるけど基本的には複数の原理に従って行為せよという感じです。
- 孔子の仁義礼智信:孔子の仁義礼智信です。
で、筆者はこうやって具体例を挙げて「倫理学の原理」の姿を浮かび上がらせつつ、「一個では少ないけど、複数原理のものも数が多すぎる」という不満(?)を述べながら新しく自分の考えを展開します。
筆者の考えで「すばらしい!」と思ったのは、倫理の原理を三つの人間関係に分けたという点です。具体的には「個人」「親しい関係」「社会」の三つです。そしてそれぞれの関係を、上下関係の有無(横のつながりか縦のつながりか)とどういう関係か(互いを補い合う「相補性」か共通点で結びついている「共同性」か)の二軸でもって表現した二次元空間を用意して、そのうえで話を進めています(軸を引いて座標で考えるのがわかりやすいひとは結構いると思います)。そういうわけで、原理原則を常に確認しながら個別具体的な問題の解決策を探っていくことが出来るので、今自分が何を問題にしているか、何を根拠にしているか、どこからが自分で考えなきゃいけないことなのかが明確な状態でいられるのです。これは安心。
全然関係ないですが、座標があると安心するのは、座標を引くことによって世界が限定されて想定外なことが起こらなくなるから、起こったとしても想定外だとすぐわかるからかもしれないですね。
「攻めの倫理」・「守りの倫理」(「パート4 攻めの倫理!」について)
筆者は、倫理を「積極的な攻め」と「消極的な守り」に分けています。「攻めの倫理」は簡単に言うと「善く生きよう!」というふうにプラスを増やす感覚で、「守りの倫理」は「悪を正そう!」というふうにマイナスを減らす感覚です。どちらが優れている、というわけでないですが、こういう分類を見せてくれると、前節での「倫理の原理」に加えてやはり全体像が俯瞰できてわかりやすくなるわけです。ある問題に接したとき、これは「攻め」なのか「守り」なのか、どういう観点の問題なんだ?ということからまず手をつけられる。
そして思ったのは
こうして「倫理の原理」を紹介されて思うのは、ある程度倫理学説を学んだら、実際に応用してみないとしょうがないな、ということです。今世界中コロナウイルスで大変なことになっていますが、いろいろな分野でいろいろな人が、いろいろな決断を迫られています。僕のような一般市民でさえ、購買行動や外出などふだんは些末で意識もしないような意思決定に外圧がかかるようになっています。倫理学でよく行われる極端な思考実験に近い状況が実現されているわけで、あまりいい表現ではないかもしれませんが格好の実験材料になります。こうして本を読んで学んでも世界のありようが変えられるわけではないですが、見えるものが増えていいな、と、いい本を読んだときに必ず思うことをまた思いました。
備忘のメモ
あとは、特に覚えておきたかった箇所を引用して終わりにします。
正義とはつまりは、「釣り合いをとる」ということだったのです。(p. 99、第4章 正義の正体)
…会社はやはり社会そのものではありません。というのは、会社が一定の目的のために設立されたものであるのに対して、社会には共通の目標や目的がないからです。( p. 217、第13章 愛のパターン。太字部分は実際は傍点)
↑はとくに意識しておきたいことです。法律とか制度の議論を見ていると、なぜか会社でいう利益みたいなものを念頭に置いて(しかもそれを当然のものとして)意見を述べている人が目につきます。なんとなく違和感があるけどまぁ正しいことなのかなぁ、いやだなぁ、と思っていたのですが、「社会には共通の目標や目的がない」という観点が明確になると違和感の正体がはっきりします。(この観点が正しいとすればですが)
…しばしば出会うのは、「なんだか悩ましいんだけど、これはどこが悩ましいんだろう」という状況です。こうした場合には「何が悩ましいのか」が分かれば、それだけで「どうするのがいいのか」という答えまで導けることが多いのです。そして、我々の倫理学はそういう場合にこそ威力を発揮するわけです。(p.245、第15章 正義や愛の使い方)
以上です。