ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:リスク・責任・決定の一致『ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼』

 この本を読みました。

  以前、『問いかける法哲学』を読んだときに、ハイエクという哲学者が出てきて興味がわいたので、ハイエクのことがわかる簡単に読めそうな本がないかなと思って検索して出てきたので読みました。
 ハイエクに触れられていた部分はそんなに多くなかったのですが、経済や政治制度の勉強になりました。筆者は労働者の地位を第一に考えた経済や政治をよしとしてこの本を書いています。僕自身が政治や経済に求める考え方とも近くて読みやすかったです。本書は、「リスクと責任を一致させる」、「政府などは、予測可能な制度のみを設計するべき(状況に応じて変わる部分はそれぞれにまかせるべき)」という二つの指針を繰り返し確認しながら、そのもとで実現できるよい政治制度や経済政策を提言します。

 いくつか印象に残った部分を、備忘のためにメモしておきます。

リスクと責任は一致させる

 共産主義とか社会主義といったワードは、見聞きして理屈はだいたいわかるし良い仕組みのように見えるのですが、歴史上そういった仕組みがあまりうまく機能していないようです。過去に社会主義国だったソ連が崩壊しましたが、その社会主義経済が崩壊した仕組みについてわかりやすくまとめてありました。
 自分が持っていた社会主義のイメージは、いろいろな経済活動をすべて国が管理して、資本家による搾取の仕組みを排除して公平公正な分配を実現するという形です。マルクス主義の話なんかを読んだり見聞きすると、それって素敵じゃん、と思うわけですが、ソ連はそれでうまくいかなくなってしまいました。その理由について、コルナイという経済学者の分析を紹介しています。簡単にまとめると、崩壊の原因は次の二点です。

  • 企業が設備投資などで生産規模を拡大するのに歯止めがかからない(企業が国のお金で運営されているため、企業のトップの経営判断が他人事になる→設備投資が成功すればOKだし、失敗しても私財での補填などの責任をとる必要がない)
  • 原料や燃料や部品を多くため込もうとする(そうしておけば、中央政府から突発的に生産の指示が降りてきても即座に対応でき、ボーナスがもらえる)

 この二点で、企業の生産活動に資源が集中されると、国内では市民生活に必要なもの(食料や衣料など)が不足します。賃金は上がっても、買える物がそもそも存在しないという状況になったそうです。こういうわけで、国民の生活はどんどん貧しくなっていきます。コルナイの分析では、ここでの一番の問題は企業のトップが責任をとる仕組みがないという点だ、というのです。
 こういう、責任をとる人がいないという状況は、社会主義特有のものではなく、資本主義社会でも十分起こりうる、ということを、リーマンショックを例に説明してありました。リーマンショックの主な原因は、金融機関が顧客から預かっているお金をローンとして貸したものの返済できない人が続出した、というものです。なぜ返済できない人が続出したかというと、お金を貸す金融機関のディーラーに「どうせ自分のお金じゃない」という意識があったため、返済されないリスクを過小評価してお金を貸しまくったから。そして、なぜそんな過小評価が可能だったかというと、金融機関がつぶれると雇用や経済への影響が大きいため、破綻しそうになっても国が助けてくれる、という公算があったためだ、と著者は分析しています。
 著者は、リスクと責任が一致している事業形態として、「沿岸漁業の漁師」を例に挙げています。長いですが引用メモしておきます。

...沿岸漁業はいまは、漁業協同組合が漁業権を持って、漁師さんたちが自営して働いています。これが出資した資本家に決定権のある資本主義企業だったらどうなるでしょうか。
(中略)

...漁業には、漁師さんが現場でシケに遭ったりして死んでしまったり、障がいを負ったりするリスクがあります。「舟板一枚の下は地獄」というやつです。これは、とても重大なリスクですが、現場の漁師さんは、長年の経験があったりして、現場特有の情報からこのリスクをある程度抑えることができます。
 もし、資本を出資した資本家が決定権を持っていて、たかが漁船や漁具に出資したぐらいで、現場を離れたところから出漁などを指図したらどうなるでしょうか。その結果の事故リスクは現場の漁師さんにかかってくるのですが、決定者が責任を負わなくていいならば、どんどんと過剰にリスクの高い操業を命令してしまうことになります。
 これはいけないということで、被害者が納得する額の人身事故の補償を、きっちり資本家側にさせるようにしたらどうなるでしょうか。そうするとその補償額はとても大きいはずですので、事故リスクにかかわる情報がよくわからない資本家としては、今度は逆に慎重すぎる操業決定をしてしまうでしょう。
 そうすると、操業決定を現場の漁師さんにまかせてしまうという解決もあるかもしれません。ところが、一定のお給料がもらえるとなったら、漁師さんとしては、資本家がリスクにかかわる情報がわからないことにつけ込んで、危険だと言ってなるべく出漁しなくなるでしょう。
 それを防ごうとしたら、漁師さんの収入を漁獲高に比例させるほかないのですが、操業決定も漁師さんがして、その収入も漁獲高に比例するというのは、会社が自営業者としての漁師さんに下請け委託していることと同じです。結局やはり、事実上現場の漁師さんに決定権のある事業に落ち着くわけです。
(中略)
 結局、漁師さんが自分で操業決定して、自分で責任を負い、自分たちで販売するというのが一番効率的だということになります。(p.59-61)

 そういうわけで筆者は、「負っているリスクが最も大きい人が、事業の決定権、すなわち責任をもつことが重要だ」と結論づけます。 会社員で、上層部からのトンチンカンな指示に従わざるを得ない、という経験がある人がいると思います。こういう場合、失敗したときに上層部が完全に責任をとる、という仕組みやルールがきっちりしているなら全く問題ありません。でも、実感としてあまり実現されていないよな、と暗い気持ちになります。

予想可能性のある制度設計

 筆者はこの「リスクと責任の一致」を実現するために必要なことは、ハイエクという経済学・哲学者が主張した「予想可能性」だと述べています。

 ハイエクの提唱する、誰にでも当てはまる一般的ルールは、逆に、人々の予想を確定させてリスクを減らすものです。「それによって人々は、生産活動をしていく上で関わりを持たざるをえない他者が、どのように行動するかを予想できるように助けられる」というものです。例えば、民法などのルールがあれば、詐欺やごまかしのリスクは減って、安心して取引できます。(p.91)

 そして筆者は、「予想可能性」を実現するための一つの政策として「ベーシックインカム」を挙げます。ベーシックインカムについて、筆者は「労働と生存を切り離す」(p.171)と書いています。最低限生きるために必要なお金を保証して、事業などで失敗しても生きてはいけるようにすることで「責任をもってリスクを負う」という原則を貫けるようになると述べます。生活保護ではダメなのかとか、なにもしないでお金をもらえると人は怠けてしまうとか、異論はいろいろありますが、納得いく反論がいくつか挙げられています。この本に書いてあるベーシックインカムの議論は地に足のついた実現可能そうな理路が展開されていてよかったです。

ゲーム理論で分析する「日本型年功序列vsアメリカ型成果主義

 ゲーム理論を応用して制度を分析している章があり、そこの記述も面白かったです。「労働者の戦略」と「企業の戦略」をゲーム理論をつかって分析し、どういう均衡がとられるのかを探しています。ここでは「労働者の戦略」「企業の戦略」を次のように二つずつ想定しています。

  • 企業の戦略:日本型の雇用慣行(年功序列、終身雇用)vsアメリカ型の雇用慣行(成果主義、流動的雇用)
  • 労働者の戦略:特定企業に特化した技術を伸ばすvs汎用的な技術を身につける

 この場合、四通りの戦略の組み合わせが考えられますが、労働者、企業ともに満足のいく結果になるのは

  1. 日本型雇用慣行×特定企業に特化した技術
  2. アメリカ型雇用慣行×汎用的な技術

の2パターンです。どちらが優れているというわけではないけど、この2パターンのどちらかに落ち着くということになります。ほかにも、ゲーム理論をつかって「男は働き女は家」という家庭が多い(多かった)理由を説明したりしていて、そこも面白かったです。

 

 いままで経済学の本はあまり読んだことがなかったのですが、大変わかりやすく、選挙での投票先選びの役にも立つ本だと思いました。

 おわりです。