ルジャンドルの読書記録

ルジャンドル(Twitter id:nattogohan_suki)の、読書メモを記します。

読書記録:鑑賞の妙 『短歌パラダイス―歌合二十四番勝負』

  今回は、この本を紹介します。

 

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

 

 

歌合とは

歌合とは、短歌で行うバトルゲームです。
 複数人の歌人が2つ(以上)のグループに分かれて行うチーム戦形式です。
 手順は以下の通り。
①各グループから一人ずつ戦闘員を決めて、各々歌を提示
②戦闘員以外のグループの構成員は、相手グループの歌の粗を探し、自グループの歌を誉めてアピール
③ジャッジの判定が下ることで勝敗を決定
④これを構成員各々が行い、勝ち数の多いチームが勝ち
 このゲームの妙は、歌の絶対的な優劣がポイントにならないことです。各戦闘で提示された歌の良しあしは、他の構成員の援護射撃や、相手チームの攻撃を経たうえでジャッジに受け取られます。ジャッジ自身もその歌を鑑賞するので、もちろんよい歌は勝ちやすいですが、場の雰囲気なども少なからず影響して、必ずしも力通りにはならないのです。

この本は

この本は、1996年に熱海で行われた歌合の様子を克明に伝える本です。当時も今も有名な歌人が一堂に会し、一泊二日の厳しい戦いが繰り広げられています。本書に登場する短歌は骨太で完成度の高いものばかりです。その妙味は、本書を実際に手に取って感じていただくのがいちばん良いと思います。

この本のキモ

筆者の小林恭二さんは俳句を作る方で、この短歌パラダイスのほかに句会(俳句を持ち寄り批評し合う会)の本を2冊著しています。

 

 

 

俳句という遊び―句会の空間 (岩波新書)

俳句という遊び―句会の空間 (岩波新書)

 
俳句という愉しみ―句会の醍醐味 (岩波新書)

俳句という愉しみ―句会の醍醐味 (岩波新書)

 


 

 彼がこのように句会録、歌会録を世に出す背景には、大事な考え方があります。

日本の芸術は多かれ少なかれ、座を中心とした連衆的一体感のうちに育まれてきた( p185)

 筆者は、定家、世阿弥芭蕉など日本の芸術家を挙げ、彼らが弟子という形で芸術家集団を主宰していたことに注目しています。そのような集団内では、自然と美意識に対する議論が戦わされ、批評や評価が活発に行われるうちに作品を作る「場」を醸成することが作品そのものの水準を高めてきたというのです。
 筆者はその仕組みが崩壊してきていることに、危機感を持っています。「自立した個人が才能をふるう」という西洋的な芸術家のイメージだけがフィーチャーされ、「場」の機能が失われつつあるというのです。

 筆者のこの考えは短歌・俳句などの短詩形の業界について述べられたものです。さらに、書かれたのは1996年のこと。2016年に生きる私は、インターネットの普及により、生産過剰で「場」の醸成が追い付いていないことをうっすらと感じており、それが20年も前から主張されていたのか、と思わず驚いてしまいました。
 作品の発表が主張だとすれば、作品の鑑賞は傾聴。人の言うことをきちんと聞き、味わいましょう、作品を作る時と同じぐらい、うんうん唸りながら解釈するなんてこともまた楽しいのですよ、ということを伝えたいというのが筆者の本懐であると思います。インターネットで簡単に作品を発表できるこの時代には、作る能力と同じくらい作品を味わえる能力が求められるのでしょう。

そういった意味で、魂を込めて提出されたたった31文字を、あの手この手でかみくだき、プレゼンする歌人たちの姿をまとめたこの本は、これからの私たちに大きな示唆を与えてくれるものであると感じました。

(初投稿:2016年8月28日)